2021年07月04日

退屈さと創造性

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最近、入院してから気が付いた事だが、退屈というのは、買ってでも欲しいものだということに気が付いた。嘘のような話だと思うかもしれないが、おそらくは間違いない。
入院以前のぼく自身の状況としてあったのは、過度なネット依存状態であり、特にSNSは思考を奪うものだった。多くの人は、情報から取り残されないためにも、ネットを見なければと思うかもしれないし、単純に退屈だからネットで紛らわす、或いは自己承認欲求を満たすためにネットに依存するという事もあるかもしれないが、単純に情報ということを考えれば、大した情報を毎日ネットから得ているとは考えられない。それよりは、脳を休めたほうが良いし、そういうものが無い状況になると起こる現象として、自らが色々と考える事を始めるというのがある。
ぼく自身にとって重要だと思ったのは、その自らが色々と考えるという状況そのものにある。退院して気が付いたが、恐ろしいまでに、その考えるという状況に持っていけない。世の中の雑音が多すぎるからだ。
その、非常に退屈な状況に持っていくには、入院というのは良かったのだが、今の状態で、退屈な状況を作り出す事が重要だ。まずは、ネットの遮断、あと、多すぎる「やる事」を減らす事。何でもやらないといけない状況を克服することだ。
しかし、そんな事が可能だろうか?ホテルに泊まるという方法もあるが、けっこうなお金がかかるし、日数にも限りがある。他の似たような状況として、車でのドライブというのもあるが、街中だと、やたらと情報が多い。
情報の多さというのは、必ずしも正義ではない、というか、脳が、その情報を処理しきれないのだから、洗練された何かを考えるにも、非常に良くない状況だと言える。
最近関わった多くの人からは、ほとんど二次創作の話しか聞かない。ぼく個人は、あまり他人の作品には関心が無いため、二次創作については考えないほうだと思うが、考える事が出来なければ、何も作れない状況に陥る。過去のアイデアのストックもあるが、よく考えたら、それは、ぼくの病気と非常に深い関係がある。冷静に考えてみたら、そういうものは、病気で動けない時に考えていたものが多いわけだ。
しかし、病気でなくとも、退屈な状況を作り出す事は可能なはずだ。