2021年06月13日

何故勝たないといけないのか?



一週間が経過したのかな?いや、8日だろうか?ただ寝てばかりいるせいか、時間は短い。
とりあえずは生きている。

生きているということは、また生存競争とやらに参加しなければいけない事を意味している。その事を意識する事は、非常に億劫だ。他者を押し退けて生存アピールとか馬鹿げている。
要は、その事を意識しなければ良いのかもしれない。純粋に自分が好きならば、それも可能だろう。そして、自分がやっている事が好きならば。

ぼくは、根本的に、自分がやっていることも好きではない。別に写真は好きではないが、生存の手段としてやってみたというだけの事だ。
つまるところ、それは自己表現だ。自分が好きではないのに、それを肯定出来るだろうか?素晴らしいと嘘をついても、それはすぐにボロが出るだろう。社交辞令としても、酷い事を言うことになる。自己嫌悪は増すばかりだ。

おそらく人は、ある領域に自分を押し込めて生きている。好きではなくても、好きということにして納得している。おそらくは、好きな事というのはもう少し単純なものだ。難しいものではなない。
何かの発展のために、新たに蓄積されたものというのは、酷く面倒で、おそらくは多くの人にとって意味はない。というか、分からない。根本的に面白くはないが、それ以外の自分の感心や好きなことと関連づけて、好きだと錯覚する。その錯覚も、一つの原動力だ。だが、それは、ぼくにはない。

勝て勝てと言われてきた。
勝つって何なんだろう?どうしても勝たないといけないのか?生きることは、食うことで、食われない事だからか?食われたとしても、自分の遺伝子が生き残れば、生物的には勝っているから?そうやって、何十億年も生命を繋いできた結果、ぼくは生きているからか?
まぁいい、その点は放棄している。ぼくには子供はいない。この体で終わりだから、どちらにせよ生物的にもリタイアだね。

たぶん、この世界に、意思なんか無いんだ。生物としての成功?本当は勝ちも負けもない。それは、痛みや苦しみを避けるための方便だ。意味も意思も無いけど、このパターンが存在してるんだよ。勝ってるんじゃなくて、この世界に現時点で残るパターンなんだよ。たぶん

とりあえず、空腹とか軽蔑とか、そういう苦しみから逃げる準備として、これからも何か考えるんだろな。ぼくは