2021年06月02日

反出生主義という考え方

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以前から、反出生主義という考え方に関しては、けっこう納得するところがあった。というか、父親にや母親に対しても、「生まれてこない事が一番良い」と、日常的に言っていた。
世の中の反応と言えば、「そんな事は言うべきことではない」とか「生まれてきたからこそ良いことが沢山ある」という回答も多い。しかし、残念な事に、その良い事の多くは、苦痛からの離脱行為によって得られる事も少なくはない。そして、その良い事というものが、他の犠牲の上に成り立つという事は、極めて多い。

現在のぼくの状況として、多くの日は体が重く、思ったような日常生活は送れない日々が続いている。すぐに倒れるし、無理をすれば、死に直結するような症状に襲われる事も少なくはなくなった。
早く楽になりたいが、その楽に至るまでには、あり得ない苦痛を経過する事が必要なのだろうか?


ぼくは、多くの場合、社会に適応出来ない。そもそもの、反出生の考え方は、そこから来ているかもしれない。ただ、多くの人に言うべきことでもないか?ということで、身の回りの少数の人たちにだけ語っていた。
語る内容は、以下のようなものだ。

食事に関して:多くの苦悩から成り立った上での快楽。人間は、基本生き物しか食べる事が出来ない。「ありがとう」という言葉は自己満足。自分が殺害されて食われるとして、その感謝に何の意味があるだろうか?自分がそれをされるなら、ふざけるなと思うだろう。
自分は、いったい何億の命を奪ってきたのだろうか?

三大欲求に関して:この欲求に悲しては、欲を満たさなければ、苦痛が待ち構えている。生存している以上、種を保存するためなのか、そういうパターンを取り込まれたから生存しているのか?苦痛を逃れる事で快楽を得るという極端性を持ったシステムに支配されている。空腹の苦しみ、寝られない苦しみ、男である自分には、射精出来ない苦しみというものがある、今はそうでもないが、若いころは酷いものだ。
その欲求の果てにぼくは生まれている。

この世界の苦悩を増幅させる人間という存在:おそらく、人間がいなければ、この世界は幾分マシかもしれない。ここまでの大量絶滅が起こる事も無かっただろう。「しかし、人間だけが、その過ちを正すことが出来る」という言葉はおかしい。人間以外は、今のところ、そのような過ちを犯した事はないし、そもそも、人間が、そのような過ちを正した事があっただろうか?一人が正しても、人類という種が、その過ちを正す事が出来なければ、何も意味が無い。

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(KONICA MINOLTA Dimage A2)

考えてみればキリがないのだ。
思えば思うほど、生きるのは醜悪だし、その醜悪さから逃れるにも苦痛を伴うのが生なのであれば、生まれない事が一番の幸せであるという考え方が、昔から存在するのは理解できる。
もう一つの考え方として、これらを見ない事で、一時的なやり過ごしというものは可能かもしれないが、潜在的に後に来る苦悩というものを感じない事はないだろう。

ただ、これが、苦悩の回避から生まれてきた思想である以上、生まれてきたからには、祝福されるべきではあるし、ある種の喜びを追う事が認められているというのは理解できる。
徐々に、苦しみというものをフェードアウトさせていこうという事が必要なのかもしれない。

おそらくは、人間が、今後生き延びるためには、この反出生主義という思想は必要だろうと思う。何故なら、人類というものが、ある程度フェードアウトしなければ、この地球はもたないからだ。

posted by 超画伯 at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記