2021年06月12日

今 暑くも寒くもない


今日は、雨が降っている。
ただ、部屋の中は一定の温度なので、暑くも寒くもない。
大きな違いがあるとしたら暗いという感じだ。
曇っている日の光の射し込みは、意外に綺麗だ。巨大なディフューザーに包まれたように、光は柔らかい。


このまま放置していたら、今しまっていないレンズは、何本カビが生えて駄目になるだろうか?と気にかかる。

ここは、静かだが、外の世界は、騒音の中で、忙しく時間が経過している。
まぁいい、ぼくは、大した存在ではないし、それがあったとして、何が出来るだろうか?まぁ、大した事ではないのだ。

ものを作らない事が一番良い。そもそも、なんで作っているんだろう?


ものを作る世界では、多くの人が奇妙な事を言っている。今すぐに、それが何なのか理解出来ないと我慢出来ないのだろうか?
今の事なんて、誰も分かるはずがないのに、自分は知っていると世の中にいい放つ。
今のことなんて、数十年後でも分からないと思う。ただ、今よりは消化しているかもしれない。
今あるものなんて、ただ必死に口のなかに物を入れているだけで、それが何なのかなんて分かっていないだろうと思う。

きちんと噛んだ?お腹壊さない?気をつけて。


今というものは、特別な感覚を人々に呼び寄せる。昔と違って、今は特別に物事に理解がある時代なのだと、ぼくが生まれた、ある時点から、ずっと続いている。

たぶん、ぼくも、その感覚の中で生きてきたんだと思う。

2021年06月11日

薬の効きすぎで起きれない


薬が効きすぎて起きれない。
普段は、効きすぎるので飲まないが、管理下なので飲んでいる。それの蓄積なんだろうが、とにかく起きていられずフラフラしている。
今日は、18時間は寝ただろうか?
こういうときは、睡眠が浅くなって、夢など見るものだが、それが思い出せない。
夢は、作品のアイデアとしては、重要な要素だ。多くの象徴的な事象があるのだが、それが出てこない。本当の意味で脳が考える事を止めてるのか?

ここに入った直後を思い出せない。
寝るごとに、記憶が遠くなる。普通なら、憶えているところだ。
その日に受け取った謎の書類を見せてくれと言われたが、何の事か分からない。一応それはあったが、その後のやり取りは憶えていない。

数日前、躁状態になったので、他人との距離を置いている。
色々な人生があるが、それを複数から聞いて、同時に考える事には無理があったし。その間、躁状態になったのだから、驚かせてしまったかもしれない。
幸いに、沈静化されたのと自制でなんとかなった。
昔は、人数が5人ぐらいいると、だんまりだったが、今は逆だ。

ここは、依存病棟、ぼくは、少し毛色が違うのだろう。毛色が違うという言葉は興味深い。その違いは、排除や対立、迫害も招くものだ。ここではそんな事は起こらないだろうが、たぶん距離を持っておかないと軋轢を生むだろう。

起きられない事も、この場合、悪くはないのだろうか。



2021年06月09日

自己肯定感の話

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 ぼくには、驚くほど自己肯定感が無い。仮に、そのようなものが表れても、歪な形でしか表れない。

先日の話だが、弟が見舞いに来て、必要なものを置いていった。
だいたい、弟は、世の中の物事を綺麗事に収めたいところはあるが、うちの兄弟に、自己肯定感が無いのは、その通りだ。殴られて育ったし、出来ても褒められない、それ以前に出来なかった。「殴れば、漢字も覚える、逃げるから覚えないんだ」と殴られたが、ぼくは未だにその頃の漢字を書けない。何の事はない、カラクリは、学習障害によるものだったが、当時はその考えは無かった。運動能力も極めて低く、走ると動きが気持ち悪いと言われ、ますます萎縮した。ぼくは、人との違いを見せてはならない事を知っていた。いじめの餌食になるだけだからだ。だから、本気を出していないだけだと演じた。秘めた力を持っていると。だが、当時、クラスで一番何も特技が無かったのはぼくだった。いつかは、努力で救われるとは思っていたが、その希望を頼りに生きてきた事もある。

現在の、事情としては、外の世界での軋轢だろう。
敵と味方の比率としては、2:6:6、敵、味方、無関心および傍観者の比率らしい。ぼくには、健常者のそれとは一致しないだろう。皆、条件は同じというが、たぶんそれは数字による思考停止だ。平均値を述べているのだろうが、皆同じではない。
ぼくには感謝がないというが、実のところ、そこを通りすぎている。でもまぁ味方がいないわけではない。
そこを見るべきだという意見だ。

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友人が「中村さんは、凄い賞も取って、実績も凄いのに、なんでそういう雑音を聞くのか?」「自分とは異なる、素晴らしい力を持った人たちに出来ない仕事を任せて、自分を楽にする、そうすることで、今よりもぐっと楽になるよ」「雑音には何の意味も無いから」

そうかもしれない。
味方もいる。
ぼくが見ているのは、過去の亡霊なのか?たぶん過去にぼくを認めなかった人の多くが、ぼくを認める事は、ほとんどないのだ。過去に戻る事は出来ないし、そこに戻って、自分を認めさせる事も出来ない。大人になって賞賛を仮に受けたとしても、それは自己肯定感には繋がらない事に気がついている。それどころか、何が凄いのか、さっぱり分からなくなる。自己肯定感の低さからくる悪循環だ。どこかで折り合いをつけなければならない。幸せになりたいが、方法が分からない。
今、ここに生きている人の多くは、自分の居場所を守る事に精一杯。その中の最底辺だったぼくが、逃げ出したいのに、そこに固執することは、実に矛盾している。

ぼくは、賞を取っても賞賛されても充たされない。それどころか、その中にある雑音ばかりを聞こうとしている。
たぶん、心の奥に、そこが自分の居場所なんだという意識がある。

入院して読めないが、直前に一冊の本を買った。
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ぼくは、彼と会って、仕事をする事に、今のところなっている。仮に、コロナ等の事情で無くなったとしても、会う事にはなるかもしれない。
彼は、黒人と日本人のハーフとでも言うのだろうか?今は、この言葉も差別なのかな?
それは良い。ぼくは団体で、「そういうことにしている」人々には興味がない。
彼は、彼自身だ。複雑さを持っている。
序文だけは読めた、親子に近い年齢差もあるが、少なくとも、ぼくよりは成熟した考えを持っていると思った。ぼくは幼い。
だが分からない、人の心の中は複雑だ。

何か回答があるだろうか?








自殺を思いついた


あることをきっかけに、死のうと思った。色々な積み重ねもあるが、ぼくが生きる事と死ぬことを天秤に量った結果だ。疲弊もしていたし、死ぬほうが、よりベターだと感じた。
夜から、翌日にかけて車の中で考えていたが、血栓の薬も飲んでなかったし、脱水症状は起こしていたので、これは渡りに船だという気分だった。もう少し我慢すれば、不可逆的な状態になり、楽になれる。やっと無になれると思った。
あと、病死に見せかければ穏便に事を済ませられるだろう。
ぼくは、ぼく自身が発見されないよう移動する必要を感じて荷物をまとめる必要性を感じた。
なんか、両足もつって痛いが、少しは動ける。今のうちにまとめようと思ったが、確認するとパートナーの車がある。
車が無くなるまで待とうかと数時間。いつまでも車がある。待つしかない。

友人に電話をかけてみる。
「なんか、疲れた。仕事でも探しにどこかに行こうと思う」
仕事があれば良いのだが、今すぐには無いだろうから、これは嘘だ。どこかに行きたいというのだけが本音だ。
友人は答えた。
「それは、計画的にやったほうが良いですよ!」
「...................」
そうか。。計画的。。

その後、母親に、元気か?と電話をした。母親は異変を感じたのか、姉に電話をしたらしく、姉から電話がかかってきた。
「何かあったん?おかあさんが様子が変だと言ってた」
ぼくは、「いんや、なにもないよ?元気か?って聞いただけ」
と答えた。
「あっそ、じゃあ何もないね」
そこで電話は終わった。

とりあえず、待ちきれないので、荷物をとりに行こう。一刻も早く準備しなければ時間がない。

強行的に荷物を片付けるために、店に入った。自殺に失敗したときのために、売り物としてカメラもまとめておこう。とりあえず、どこか死ねる場所に行かなければ。

そこにはパートナーがいた。残念ながら。。

「荷物をまとめたら出ていく」
ぼくは、片付けを始めたが、意識が朦朧としてきたし、足がつって、どうにも痛い。食事も水分も拒否したし、気がついたら救急車を呼ばれていた。余計な事を。


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救急車では、色々と聞かれたが、そのあたり、どうもよく覚えていない。微熱と、高血圧。脳梗塞の時に比べれば低いので驚きはなかった。
その後、処置をされて、岡山精神科医療センターに移動。
兄弟とのやりとりがあったが、最悪だった。ここに書くべきだろうか?病院の記録には残っているが、ぼくは、より死ななければという意志が強くなった。医師から見てもその状況はよほど酷かったらしく、もうその兄弟には会わせるなという指示を看護師にしていた。
「ぼくは、やはりゴミだし、この世にいないほうが良いことも意見が一致している。生きていても仕方がない」
「先生、この状況、ぼくが怒るのは、おかしな事なんでしょうかね?こういうことの積み重ね」
「世の中の人たちは、ぼくをぼくと見ない。ぼくイコールASDで、これだからASDは!ですべて片付けられる。何か間違いがあれば、すべてがASDであるぼくの仕業になる」
「今回もそうだ、ASDだから人間的な感情がない、お前は人間じゃない、そういう回答ばかりがぼくには聞こえてくる」
先生は
「中村さんが怒るのには正当な理由がありますよ、現在、中村さんには、何かの精神疾患的な症状は出てないし、状況も理解出来ている、なので、強制的に入院させる事も出来ません」

入院には、ぼくの意志が必要とのことで、ぼくは即座に、入院を拒否した。
ただ、周囲の圧力で、ぼくはサインを書かされることになった。
ぼくは、現在、岡山精神科医療センターに入院している。

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入院二日目の事だけ書いておく。
ぼくは、部屋の外に出ないようにと言われていた。コロナ禍だし、ぼくには脱水状態の後遺症で熱があった。

外から人の会話が聞こえたので、気になってドアを開けた。
三人の入院患者が椅子に座って会話をしていた。
その中の、年上の女性が、話しかけてきた。

女性「依存症?」
ぼく「依存症ってなんですか?」
女性「私ら三人、み〜んなアル中、なんで入ってきたの?」
ぼく「いえ、自殺をしようとしたら入れられちゃったのかな?なんか、処置されて生かされちゃいました。」
女性「それは生きてて良かったじゃない。」「自殺なんかする前に、酒飲みなよ〜!酒はいいよ〜!死んだら駄目。」

それが今回の、最初の患者とのやりとりだった。





2021年06月02日

反出生主義という考え方

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以前から、反出生主義という考え方に関しては、けっこう納得するところがあった。というか、父親にや母親に対しても、「生まれてこない事が一番良い」と、日常的に言っていた。
世の中の反応と言えば、「そんな事は言うべきことではない」とか「生まれてきたからこそ良いことが沢山ある」という回答も多い。しかし、残念な事に、その良い事の多くは、苦痛からの離脱行為によって得られる事も少なくはない。そして、その良い事というものが、他の犠牲の上に成り立つという事は、極めて多い。

現在のぼくの状況として、多くの日は体が重く、思ったような日常生活は送れない日々が続いている。すぐに倒れるし、無理をすれば、死に直結するような症状に襲われる事も少なくはなくなった。
早く楽になりたいが、その楽に至るまでには、あり得ない苦痛を経過する事が必要なのだろうか?


ぼくは、多くの場合、社会に適応出来ない。そもそもの、反出生の考え方は、そこから来ているかもしれない。ただ、多くの人に言うべきことでもないか?ということで、身の回りの少数の人たちにだけ語っていた。
語る内容は、以下のようなものだ。

食事に関して:多くの苦悩から成り立った上での快楽。人間は、基本生き物しか食べる事が出来ない。「ありがとう」という言葉は自己満足。自分が殺害されて食われるとして、その感謝に何の意味があるだろうか?自分がそれをされるなら、ふざけるなと思うだろう。
自分は、いったい何億の命を奪ってきたのだろうか?

三大欲求に関して:この欲求に悲しては、欲を満たさなければ、苦痛が待ち構えている。生存している以上、種を保存するためなのか、そういうパターンを取り込まれたから生存しているのか?苦痛を逃れる事で快楽を得るという極端性を持ったシステムに支配されている。空腹の苦しみ、寝られない苦しみ、男である自分には、射精出来ない苦しみというものがある、今はそうでもないが、若いころは酷いものだ。
その欲求の果てにぼくは生まれている。

この世界の苦悩を増幅させる人間という存在:おそらく、人間がいなければ、この世界は幾分マシかもしれない。ここまでの大量絶滅が起こる事も無かっただろう。「しかし、人間だけが、その過ちを正すことが出来る」という言葉はおかしい。人間以外は、今のところ、そのような過ちを犯した事はないし、そもそも、人間が、そのような過ちを正した事があっただろうか?一人が正しても、人類という種が、その過ちを正す事が出来なければ、何も意味が無い。

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(KONICA MINOLTA Dimage A2)

考えてみればキリがないのだ。
思えば思うほど、生きるのは醜悪だし、その醜悪さから逃れるにも苦痛を伴うのが生なのであれば、生まれない事が一番の幸せであるという考え方が、昔から存在するのは理解できる。
もう一つの考え方として、これらを見ない事で、一時的なやり過ごしというものは可能かもしれないが、潜在的に後に来る苦悩というものを感じない事はないだろう。

ただ、これが、苦悩の回避から生まれてきた思想である以上、生まれてきたからには、祝福されるべきではあるし、ある種の喜びを追う事が認められているというのは理解できる。
徐々に、苦しみというものをフェードアウトさせていこうという事が必要なのかもしれない。

おそらくは、人間が、今後生き延びるためには、この反出生主義という思想は必要だろうと思う。何故なら、人類というものが、ある程度フェードアウトしなければ、この地球はもたないからだ。

posted by 超画伯 at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記