あることをきっかけに、死のうと思った。色々な積み重ねもあるが、ぼくが生きる事と死ぬことを天秤に量った結果だ。疲弊もしていたし、死ぬほうが、よりベターだと感じた。
夜から、翌日にかけて車の中で考えていたが、血栓の薬も飲んでなかったし、脱水症状は起こしていたので、これは渡りに船だという気分だった。もう少し我慢すれば、不可逆的な状態になり、楽になれる。やっと無になれると思った。
あと、病死に見せかければ穏便に事を済ませられるだろう。
ぼくは、ぼく自身が発見されないよう移動する必要を感じて荷物をまとめる必要性を感じた。
なんか、両足もつって痛いが、少しは動ける。今のうちにまとめようと思ったが、確認するとパートナーの車がある。
車が無くなるまで待とうかと数時間。いつまでも車がある。待つしかない。
友人に電話をかけてみる。
「なんか、疲れた。仕事でも探しにどこかに行こうと思う」
仕事があれば良いのだが、今すぐには無いだろうから、これは嘘だ。どこかに行きたいというのだけが本音だ。
友人は答えた。
「それは、計画的にやったほうが良いですよ!」
「...................」
そうか。。計画的。。
その後、母親に、元気か?と電話をした。母親は異変を感じたのか、姉に電話をしたらしく、姉から電話がかかってきた。
「何かあったん?おかあさんが様子が変だと言ってた」
ぼくは、「いんや、なにもないよ?元気か?って聞いただけ」
と答えた。
「あっそ、じゃあ何もないね」
そこで電話は終わった。
とりあえず、待ちきれないので、荷物をとりに行こう。一刻も早く準備しなければ時間がない。
強行的に荷物を片付けるために、店に入った。自殺に失敗したときのために、売り物としてカメラもまとめておこう。とりあえず、どこか死ねる場所に行かなければ。
そこにはパートナーがいた。残念ながら。。
「荷物をまとめたら出ていく」
ぼくは、片付けを始めたが、意識が朦朧としてきたし、足がつって、どうにも痛い。食事も水分も拒否したし、気がついたら救急車を呼ばれていた。余計な事を。
救急車では、色々と聞かれたが、そのあたり、どうもよく覚えていない。微熱と、高血圧。脳梗塞の時に比べれば低いので驚きはなかった。
その後、処置をされて、岡山精神科医療センターに移動。
兄弟とのやりとりがあったが、最悪だった。ここに書くべきだろうか?病院の記録には残っているが、ぼくは、より死ななければという意志が強くなった。医師から見てもその状況はよほど酷かったらしく、もうその兄弟には会わせるなという指示を看護師にしていた。
「ぼくは、やはりゴミだし、この世にいないほうが良いことも意見が一致している。生きていても仕方がない」
「先生、この状況、ぼくが怒るのは、おかしな事なんでしょうかね?こういうことの積み重ね」
「世の中の人たちは、ぼくをぼくと見ない。ぼくイコールASDで、これだからASDは!ですべて片付けられる。何か間違いがあれば、すべてがASDであるぼくの仕業になる」
「今回もそうだ、ASDだから人間的な感情がない、お前は人間じゃない、そういう回答ばかりがぼくには聞こえてくる」
先生は
「中村さんが怒るのには正当な理由がありますよ、現在、中村さんには、何かの精神疾患的な症状は出てないし、状況も理解出来ている、なので、強制的に入院させる事も出来ません」
入院には、ぼくの意志が必要とのことで、ぼくは即座に、入院を拒否した。
ただ、周囲の圧力で、ぼくはサインを書かされることになった。
ぼくは、現在、岡山精神科医療センターに入院している。
入院二日目の事だけ書いておく。
ぼくは、部屋の外に出ないようにと言われていた。コロナ禍だし、ぼくには脱水状態の後遺症で熱があった。
外から人の会話が聞こえたので、気になってドアを開けた。
三人の入院患者が椅子に座って会話をしていた。
その中の、年上の女性が、話しかけてきた。
女性「依存症?」
ぼく「依存症ってなんですか?」
女性「私ら三人、み〜んなアル中、なんで入ってきたの?」
ぼく「いえ、自殺をしようとしたら入れられちゃったのかな?なんか、処置されて生かされちゃいました。」
女性「それは生きてて良かったじゃない。」「自殺なんかする前に、酒飲みなよ〜!酒はいいよ〜!死んだら駄目。」
それが今回の、最初の患者とのやりとりだった。