2021年06月24日

継続就労支援A型

三年前、ぼくは、先日退院した精神病院に入院していた。もはや、外での仕事は困難な状態になっていた。
その中での話だが、同じ病棟の他の患者から勧められたのが、継続就労支援A型、つまり、A型労働はどうだ?という話だった。
就労継続支援A型とは、障害や難病のある人が、一定の支援がある職場で働くことができる福祉的な支援契約だ。
ぼくは、退院する気満々というか、とにかく、現状から逃げ出したかったので、病院には噓の報告、つまり、もう良くなりましたという報告を続けていた。事実は、全然良くなっていなかったのだが、限界的に耐えられない状況を脱していたため、そうしていた。

ぼくの頭の中には、A型労働というものは無かった。話は聞いたが、知識のうちに留めておくだけにして、早く退院するために、自分でトレーニングをしていた。ぼくは、A型労働者を馬鹿にしてはいないつもりだったが、どうだろう?今を思えば、無駄なプライドが、それを許さなかったのかもしれない。
ぼくは、不可能になった、これまでの仕事の代わりになるものを模索する必要があった。
「時間稼ぎが必要だ」ぼくは、そう思った。これまで稼いだお金と、パートナーの支援で、一年を乗り切り制作する。今回のは、賞金が必要だ。ぼくは、福武文化奨励賞等を受賞していた事もあり、徐々に貯金を増やしていた。
「とりあえず、雑念を取り払え、情報を見るな、勝つことだけを考えろ、今出来る事でそれは可能だ!」自分にこう言い聞かせて、自分の中の戒律である、”写真”を解放することにした。破戒だ。ぼくは、写真では作品を作らないと決めていたのだ。それを決めたのは、20代のころだ。
そもそもは、当時、写真は、視知覚的な見方の完成形ではないし、それによって多くの人が、ものの見え方の豊かさを勘違いしている。知覚とは・・というのが当時の考え方でもあったし、それは基本的には今もそうだ。今はもう、多くを忘れているが、実は、対立する「他者」として、写真というものをそれなりに研究していた。その時のニュアンス的なものは、今もなお残っていると思う。ただ、当時は今よりも、ずっと西洋かぶれで、それこそ大二病のようなものを患っていたかもしれない。

予備知識を見るな、雑念が入る、傾向と対策など、本来作品に不要なものだ。頭の中で、長年育ててきた、”抗うことが出来ない巨大な力”こそが、ぼくの乗り越えるべき敵であり、相手は人間ではない。バケモノだ。
ぼくは、うつの波が、比較的低い間のみ制作することにした。写真を撮影しては、ばったり倒れて、月単位で動けない日々が続いた。
そして一年後、おそらくは十分な強度、相手が人間であるならば勝てる強度をもった作品群をまとめ、それに「蟻のような」という名前をつけた。
ここからは、作品を出す展覧会を探す作業だが、まずはビジュアルからだ。"写真 公募"と打ち込んで検索。多くは、綺麗な風景や、可愛いペットの写真が出てきたが、それとは違うものがあった。
パートナーに見せて、「これ、通りそうじゃね?」と話した。
”キヤノン写真新世紀”と書いてある。
「写真というよりは、なんか妙にアートっぽいね」と思った。
まぁ何でもよい、国内では、これ一択だろう。外国人審査員も多い。ぼくにとって、外国人審査員というのは重要だ。というのも、日本の文化人は、西洋かぶれが多く、その文化そのもので育っていない人が、言葉だけを使って正解を探るケースが多い。そして本質は理解していないにも関わらず、何故か理解していると思っている人が多い。ぼくの場合は、もちろん西洋のそれを経験として理解していないが、少し違って、東洋の島国の中で、マイノリティーとして育った自分が感じる世界を、他の価値観、文化として認めろという要求も含まれたものだった。要は、西洋の哲学における「他者」に、東洋の島国人であり、その文化の中で育った、”ぼく”がなりきる事で、その対話は成立するという考えからのものだ。
エントリー要綱の形式は、映画祭のそれと非常によく似ていた。ただ、”ステートメント”って何だろう?という疑問もあった。消去法で、おそらくは映画祭エントリー要綱の”シノプシス”(あらすじ)に近いものだろうと解釈して、そのうような感じで書いた。

結果は、グランプリだったので、ぼくの時間稼ぎは、ひとまずは成功した。要は、ぼく自身の作家としての延命措置は成功したのだ。
死から逃れようとする執念って凄いものだな・・こりゃ難儀なものだ。と思った。もう一つ、ただただ落ちぶれるのが嫌というのもあった。

しかし、”落ちぶれる”って何だ?という疑問が残る。何をもって落ちぶれるのか?
ぼくは、三年前ではなく今回の入院での、ある人との話が、頭の中に強く残っている。それは、とてもつまらない話だったが、そのつまらなさの本質は、ぼく自身と被るものだ。

簡単に書くと、

”私には、かつて妻子がいた。私は、とにかく社会の規範を守る男でね、それにそぐわぬ事を妻子がすれば、とにかく叱ったものだ。だってそうでしょう?人がどう見てるか分からないじゃないですか?みっともない事はやめろ!と言っていたんだよ。
私は、少しばかり無理もして、大きな家を建てた。妻子は、何不自由しなかったし、変な目で見られる事もなかったはずだ。なのに、妻子は逃げた。そして、電話番号も変えられ、もはやコンタクトもとれない。そうこうしている間に、私はアル中になって、病気になって、還暦にもなっていないのに、年金生活を送っている。みっともないでしょう?だから、何度も自殺を試みているんですよ。”

彼は、大きな家に関しては、少し誇らしげに語る。
その後、

”私には、大きな家だけが残った”
と語った。

ぼくは、自分が実践していないにも関わらず、
「そういう境遇にある様々な人たちを、少しばかり優しいまなざしで見るだけでも救われるんじゃないですか?だって、過去の自分が言っていて、それを今も言って、自分が苦しんでいるのだとしたら・・それに、年金生活かどうかなんて、かなりどうでも良くないですか?遅かれ早かれ皆そうなるんだし、皆違って当たり前じゃないですか」
と偉そうに言ってしまった。心の中の何かが、頭をよぎって、少々苛立ってしまった事もある。それに、客観的に見れば、彼自身が変わるか変われないか?の岐路でありチャンスだという事が分かっているのに、自分に対しては、そのように見れないという苛立ち・・
実際のところ、言葉の罠にはまってしまった彼の苦悩は計り知れないのかもしれない。マジョリティー的意識によって支えられてきたアイデンティティーが、マイノリティー化して崩れてしまったがための苦悩。

たぶん、ぼくがこれまで求めていたものは、その”大きな家”と本質的には同じものだ。それで、ぼくは救われるに違いないと信じて動いてきた。しかし何だろう?ぼくは、人がどう見るのか?に固執している。
言葉では表しきれないが、ぼくの中に決定的に足りないものの片鱗が見える気がした。それは、ぼくが、言葉ではない何かで考えてきた表現とは、決定的に異なる。にもかかわらず、おかしな”モノ”に固執している。ぼくは、「立派な作家になって、昔ぼくを馬鹿にした”皆”を見返したい」と、かつて若いころに言った。ぼくは、その言葉に捉われていたが、実のところ、本質的には、まったく尊くもないし、立派でもない。そして、虚しさに苦しんでいる。そもそも、その”皆”とは何なのか?マジョリティー的な何かなのか?妖怪人間ベムとかで言うところの、「早く人間になりた〜い!」という台詞の対象であるあれか?

「よく考えたら、A型労働で良かったんじゃないか?」
というか、何故、それを嫌がったのだろう?A型労働で働くぼくが、一方では作家として活動するでも良かったし、それでいっぱいいっぱいだったのならば、労働だけでも良い。出来るときに何かをすれば良いのだ。
A型労働をする自分と作家をする自分というものは、同時に成立する。そして、それは恥でも何でもない、どこかで恥と思っていた、自分自身が恥ずかしいのであり、それだけに、ぼくには、「私」も「他者」も救えないし、その力も無かった。ぼくには、決定的に欠けているものがあった。賞とか名誉では、そもそも立派になどなれないのだ。そして、立派になりたいという言葉すら、それからぼく自身を遠のかせる。

入院中に、友人から、継続就労支援A型の紹介があった。ぼくが、自殺しようとしたにも関わらず、ぼくは見捨てられていなかった。
ぼくは、退院したから、面接に行くことが出来る。友人のお父さんも一緒に来てくれるとの事だ。
それが、結果的にどうなるかは、未来の事だから分からないとしても、ぼくは、面接に行くことに決めた。

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入院前に、救急病棟で行われた措置の跡が腫れている。
すぐに消えて無くなると思っていた。


2021年06月23日

実は、言葉以外でも伝達できる

ここ最近、言葉で説明しないと伝わらないと言ったが、あれは嘘だ。実は、それ以外の方法がある。その一つは、視覚芸術かもしれない。人間は、言語による思考を重視するあまり思考=自分という錯覚を起こしている。実は、生物である以上、言葉以外の思考のようなものを持っている。それは、進化の過程で受け継いだものだ。
ただ、洗脳され言葉に閉じ込められた自分というものを解放するための嘘が必要だ。目的は、違う世界の捉え方が存在するのだと知ってもらう事にある。

ぼくは、コンセプトという言葉を基本的に言わない。漠然としている。言葉の積み上げの上に投げかけるそれは、西洋のものだ。確かに、日本は西洋化したが、どうだろう?日本人は、対立意見に自分の名前を使う事を嫌う、何故ならそういう他者に相対するには、メンタルが弱すぎるし、無駄にプライドも高すぎる。結果、起こることは恨みということになる。相手の言うことを冷静に聞く事が出来ず理解の上の反論というよりは、感情論に終始する。そういう文化が如何に根深いかは、日本人であるならば分かるはずだ。表面だけ真似たりしても新たな価値観は産み出せない。だが、劣っているとか、差別の対象になるとかでは駄目だ。ぼくたちにも、広い視野、複雑さを感じる知覚がある。
ぼくは、この周辺、ぼくを育てるに至ったぼくの中に内在する流れる文化、孤独であり、そうではない感覚の再現として、作品に出力することにした。

このあたり、病院も含め、ぼくと似た文化形態の中で生きてきた人たちは、現代という時代に、ほどほどに住みやすい社会を築いている。それも崩れそうだが、だからこそ、自分に中に内在する何かを昇華させようとする。ぼくに、特別な力は無いが、生きる意味を失っているぼくにとっては、救いなのだ。
真理は無いし、ある閃きの後も世界に変化は無い。痛みも、苦しさも、虚しさも残る。ぼくというものの、固有名詞で呼ばれる存在が死んで形態を変えるまでは。分かっているが、痛みも苦しみも不安も、中村智道と言われる区分を維持する装置なってしまっている。そういうパターンとしてあるものだから、こういうものも書いている。自己の認識から消えるまではそういう事をしようとする。

自閉症スペクトラム障害というマイノリティーと言われる何かが、自分のもう一つの広い感覚で、複雑な何かの信号を並べたもの。言葉ではない別の知性のようなもので他者に問いかける。或いは知ってもらおうとする。いわば、ただの会話の別の形だ。言葉は使うが、その頭の中の動きはマイノリティーだ。ただ、マイノリティーは言葉のくくりでしかない。内部の孤独な何かが、他者の体といわれるものの内にある、孤独な何かに、もう一つのぼくを知ってもらうためのコミュニケーションだ。それが可能になったとき、ぼくの中にある自分と思っていた自分とは違う自分は、孤独ではなくなる。
言葉では、回りくどい言い方にしかならないが、それを多くの存在が持っている。
「それは、言葉以前の感覚だ」と、劣ったものと思う人もいるかもしれない。
ならば、その言葉とやらは、何か美しい色や知覚のようなものを表現する事ができるのか?洞窟で、最初に描かれたあれは何なんだ?
言葉ではない領域、複雑な何かでコミュニケーションをとろう。それは、もう一つの理解だと思う。

今日、病院を退院する。
雑音の多い所に戻る。
この、一見謎めいた、或いは下手をすれば病的な自己詮索は、ひとまず終ることにする。


追記
入院後、ぼくの血圧は、標準的なレベルで安定していた。しかし、出ることになると、まだ出ていないにも関わらず、元の高血圧に戻った。そして、心臓付近が痛い。
ぼくと思っていたモノは、入院したくなかったし、出たいと思っていたはずだ。
ぼくの中には、まだ言葉では掴むことが出来ない他のぼくがいる。
そして、先日読んだ本や、ここでやった、つまらない退屈な皆の身の上話を思い出して、今さら泣いた。

2021年06月22日

法と経典 知識と智慧

俗語でいうところの大二病気に疾患した人が壇上に立ち、私は、凄まじい知を得たのだ!と、勘違いして、延々と意味不明の横文字を喋っている様子を想像してほしい、或いは、その現場に立ち合った時の事を思い出してもらっても良い。
色々な状況が起こり得るが、ある人は、「聞いたこともない言葉を沢山知ってる!スゲー!」と思うかもしれないし、「お前、なんか新しい言葉か格言かを聞いて興奮してるけど、本当は意味分かってないだろう」と痛々しく思う。或いは、「ひゃーっ!昔の自分見てるみたいで恥ずかしい!黒歴史思い出したくないから、ここから逃げたい!」とかいう反応もあるかもしれない。
とりあえず、それがジャイアンリサイタルだとしても、人の反応は様々だろう。

しかし、壇上の彼が、内容を理解せずに話していたとしても、単純な知識としては正解な事もある。特にテストという正解を前提に判定するものであれば、要は理解せずとも正解というものは成立する。

これは、理解の問題でもあるが、少なくとも、理解しているならば、もう少し喋り方は違ってくるだろう。
不特定多数の境遇の違う様々な人がいるのであり、物凄く分かりにくいものだとしても、何とか自分の真意に導きたい。つまり、噛み砕く必要があるかもしれない。
それは、けっこう大変な作業ではあるが、その努力の結果に対して、「おーっ!」と思う人もいるかもしれない。
それは、何だか分かるし、知識をひけらかしたものでもないし、この人は、経験的、或いは知覚的体感として、何らかの確信があるのだと納得する。そこからの質問からも、驚きべき、それでいて、なんか分かるような気がする発言が、次々と出てくるかもしれない。そこには智慧を感じる事すらある。要は経典のように、ぼくたちを導こうとしているようにすら感じる事がある。

しかし、同じ講座を受けた大二病気患者では、ひと味もふた味も違う反応があるかもしれない。「なに誰でも中二でも分かるような言い方してるんだよ!専門用語も無いし!あ〜っ!!知識無さすぎる!学も無いのに語るとか、中二病かよ!」
こういう思考を想像出来るのは、もちろん、中二病も大二病も経験したことがあるからである。不治の病ではないが、事表現世界ではよく見られる現象である。しかし、完治せず、こじらせている人もかなりいる。症状も様々であり、他者である彼らの深さや多様性をぼくが知るよしもない。それに、共鳴する事も無い。それでも、尊師のようになっている人もいるが。。
ちなみに、ぼくは高卒であるから、大学でもないのに、独学でそれを発症したことになる。

もう一度似たような事を少しだけ具体的に言うが、突然、日本国憲法の条文やら、「我思う故に我あり!」とか言われて、何の説明もなく、呪文のように延々と意味不明の言葉を話している状況を想像してほしい。そもそも、法やら格言やら四文字熟語など、解釈無しでは理解も出来ないものが多々ある。
そして、彼は、勝ち誇ったかのように思うのである。
「俺は真理を語った!どうだ!お前たちには、この高み、ついてはこれまい。」
妄想の中で、彼の背後には、スタンドのように、デカルト尊師やら亀仙人やらが立っている。無敵状態と言っていい。デカルトは凄い人なのに、なんか台無しである。
いや、ついていけない話は、とても好きなほうだし、深みがあるほど知りたいとは思う。
しかし、これでは、本当についていけないし、得るものは無さそうだ。時間が惜しいし、そもそも、なんで恥ずかしい思いをこちらがしないといけないのか?

要は、何が言いたいのかと言えば、同じような事を言う、或いは表すとしても表現力とそれの強度が必要だということだ。
特に、学の無さそうな人(※実際はある)が、驚くべき表現力を見せることがあるが、それは深淵であるし、現代の経典のようでもある。
真理が無い、「無」である現代という時代において、生きることを考える。これは、はるか昔から、「私」も「世界」もそうではあったが、現代というのは、雑音の時代でもある。その中での「無」である「私」を確認しようとする作業は、どれほど困難な事であろう?
それは稀有な人生でありながらもありふれた人生の経験と知覚的体験、深い洞察、そして、消化。それを「自分」にも分かるよう、方便も含め、他者に伝えようとしている。それは「私」の中にある、別の感覚である、孤独であり、言葉では触れることが出来ない「私」に共鳴し、そして感動する。それが、たとえ他者の感覚であり「私」には体験が無いのであり、感覚は会うことも出来ず、分からないとしてもだ。
そういうものが、どこかから見て東に住んでいる、ぼくらが長い年月を経て培ってきた文化であり智慧であることも忘れないでほしい。

今日、「僕という容れ物」を読み終えた。
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※実のある学は、実体験から得られる事は多いにあると思う

2021年06月21日

敗北感と生への執着からの転換期 とりあえず、死なんて不意打ちでやってくる

最近、わりと生への執着心が無い。というか、ある種の敗北感が薄れつつある。
ぼくの心は、幼少時代からの敗北感に満ちていた。なんせ勉強も運動も出来ないのだから、それはそれは悔しかったのだが、よく考えたらというか、集団妄想、つまりその集団が集団を勝手に定義している言葉から解放されつつあることで、わりと生きるのも死ぬのもどうでも良くなくなった。
そもそも、生きることに意味はないが、死ぬことも意味はない。そんなものに集団妄想を抱いて苦しんでるのは、人間という種だけだ。というか、種って括りすら、悩みの種になる。

ぼくは、敗北感からなのか、どうしても勝ちたかった。しかし、世間で言うところでの勝利みたいなものでは、大して満たされもしなかった。つまるところ、言葉が定義しているつもりになっていた自分というものが勝利を認めなかったし、それで何かを知ったわけでもない。

わけの分からない状態と思われるかもしれないが、精神病院という空間のほうが、よほど何かを知るというか体感するという意味では有意義なものだった。
多くの人が自己のプライドで苦しんでいた。洗脳の形はさまざまだが、様々な意味の無いものに意味をつけて、それに縛られて苦しんでいる。
プライドというのは、恐ろしい煩悩のようなものになり得る。その煩悩の力で、ぼくが動いてきたのも確かだ。
ただ、ここに来て、「それ、プライドの問題で苦しんでるよね?」と言いたくなるような話をけっこう聞いたし、他者に対して、そのように答えた。もう少し丁寧な言い回しではあるが。
実に他人事である。同様に、他者から見ても、ぼくはその状態であっただろう。
ある男性が60歳にもならないのに年金を貰う事を恥じる。客観的にみて、それはかなりどうでも良い事だ。人は同じではない。人間が言葉の上で決めた年齢というものは、全員一致しない。平均値があるだけで、早く老いる人もいれば、老いない人もいる。老いなくても、病気で衰える人もいる。
「そんな甘えは許さないぞ!」という人もいるだろうが、そういうのは、ただの雑音だと気がつくべきだ。なせなら、つい二三年前に、そういう事を言っていた人が、ここでプライドを傷つけられ、年金生活を送っている。その自らの発言で自らが傷つき、死にたいと苦しんでいる。若い頃から、将来自分に降りかかる事も想像せず、未来の自分にトラップをかけていたわけだ。そういう連中には、生きる価値も無いのだと。

この体はこうだったんだ、まぁ仕方ないよね?と、思えるようになれば、随分と楽になる。それに、そのほうが、自分と異なる他者に対する寛容さを育てる事になもなり得るし、プラスと考えても良いのではないか?

ぼくの、プライドに関しての根深さは、体感してもらうしか知ってもらいようがない。勿論、そんな事は不可能だ。
「いや、お前より、あの人のほうが苦しんでいる」と言われたとしても、言ってる本人も分かってないだろう。案外第三者である、あんたのほうが苦しいかもね?という事だって成立しうる。なんてったって、客観的にそれが分かるのであれば。
というか、ぼくはマゾなのか、自分の苦しさの上に苦行を行う変態だった。もっと苦しめば、もっと上に行けるはずだ!
それが、ぼくのアイデンティティーなのか?いや。。
とりあえず、その段階というものは必要なものではあったのではないかとも思う。

「そんな甘えは許さないぞ!」という狭い視野から自己を解放させる過程とでも言おうか。。

もうすぐ、雑音の多い場所、この壁の外に出ることになる。
痛みも苦しみも不安もあるし、それは相変わらず生命維持装置のままだ。ただその中の不安の要素は、随分と弱まっている。「神様は、保証ってものを忘れてる!」てな感じの死んだ後の不安。これが、随分と弱まった。とりあえず、死なんて、不意打ちでやってくる。そんなもんだ。ほっといても死ぬ。

プライドからの勝ち負けではなくて、なんか知らないけどやっている。そんな感じでも案外良いのかもしれない。
別に、バカだと思われても痛くも痒くもないわけで。そう思われるだけでも、何だか役にたってる感は、何故かここでは感じる事が出来た。笑いを提供出来たわけで。

今日は、ある年上の女性に話しかけられて、だいたいこのような話をした。
女性は「男の人は、苦しそうにしてるよね」とも言った。
「そりゃ、無駄なプライドばかり高いんですよ。それと現実のギャップに苦しんでる。まぁ、ぼくの事ですね」と、ぼくの心の声で終わることにする。

代替するもの

何か添え物でも無いと寂しい事になるが、どうやら、はっきりと何かを認定しずらい写真だとしても、ここで写真を撮ることはまずいらしい。というのも、それをすると、重要さの境界が分からない人は、何でも撮ってしまう可能性があるし、何故それが駄目なのかは理解できる。
ぼくの写真は、ある種特別な意味をもった企業秘密的なものを撮影はしていないが、これの行為を理解できない人(入院者)は多いだろう。
というわけで、過去記事の写真は削除した。

しかし、ドキュメンタリーとしては危ういにせよ、ぼくが言いたい事を他の写真で代替することは出来る。
要は、導きたい結論は同じわけで、その作品そのものに至るまでの道しるべとしての写真を退院後に撮るという手法を考えた。
それに、ある種のリアリティーを持たせるには、強度が必要である。
が、それは可能だし、言葉だけの伝聞よりはリアリティーを持たせる事は可能だ。
何かの制限や、ある種の状況から回避することで、考え出すに至った手法でも、時には、その時点よりも豊かな表現を得る事はあり得る。

何故なら、ぼくは、その制限のある状態を知っているが、外に出れば、その制限は大きく無くなる。
リアリティーを持たせるめ、ある種の戒律みたいなものも必要になる。その一つはスマホだろう。その時点で使い得た唯一のカメラがそれだからだ。どちらにせよ、制限された自分の心境というのは、重要な要素だ。
それ以外の代替するものを考えるのも面白い時間だ。ここでは説明しないが、アフォーダンス的な事象によって引き起こされるぼくの振るまいとも言える。
もう一つ、ここまで苦労して、再現したにも関わらず、最後に破戒の要素を混ぜるのも面白い。

今の自分の写真を撮れないのは、少々残念ではある。似たような写真は、ホテルでもどこでも撮れるわけではあるが。
ただ、この状況を知っているのは、ぼくでしかないわけだから、代替写真でも、他者からすれば、真偽は分からず、同じ意味として成立する。そうなれば、真偽については、さほど重要な問題ではなくなる。そもそも、ぼくが、何を感じ、どういう感覚をもったのか?に作品としての最も重要な要素があるからだ。仮に、ぼくがどういう表現を行ったとしても、感覚を直結出来ない以上、他者にとっては、それは例えのようなものにしかなり得ない。

写真が無いことで、意味が希薄になった日記もあるかもしれないが、それは、この病院から外に出れば、いくらでも別の写真を撮ることで再現できる。
実は、非常に安易に、それは再現出来るほどに、この部屋の情報量は少ない。というか、撮った写真の情報量は少ない。別の言い方をすれば、どこにでもあるし、苦労もせず撮れるものばかりだ。その少なさこそが重要で、だからこそ考えるに至ったことは多い。
写真の、本物とフェイクの違いについて、だれがそれほどまで理解できるだろうか?
というような、新たな思索を楽しむきっかけにもなった。

これから本当の事を述べる。
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「これが、病院での写真だ!」
と言っても、何のリアリティーも無いだろう。「えっ!?ペット可の病院なの?」とか、洒落た想像が出来る人は、ちょっと素敵だ。しかし、ぼくは嘘はついていない。これは、動物病院に、ペットのインコを連れていったときの写真だ。病院だが、ぼくを表すとしても、今とは別の状態を表したものだ。ここまで言ったのだから言うが、写真の作者(撮影者)はぼくだ。

そもそも、文字表現は、何かを表す場合、代替する性質を持っているものだが、感覚としては、ダイレクトではない。故に、情報量的に、視覚的なものは、この日記に書いているような、こういうケースでは問題になる。分かるだろうか?
代替するとしても、視覚的な表現は、言葉の情報量を上回るということにはならないだろうか?