作品そのものは、社会というものがテーマとしてありますが、作品の焦点として社会の単位をある程度決める必要があります。
それがあることで、作品に入り込みやすくなるといいますか、そこは絵画的な焦点、視覚としての焦点のようなもので、作品に入り込むためのきっかけになる物の見方です。他の焦点に移動することで、その世界は広がりを見せます。
個人的には、薄々は決めていたのですが、一定の年齢で、ある種強制的に組み込まれる(そして、自分が選択したわけではない知らない人と出会い過ごす)という意味でも、学校という単位を考えます。
つまるところ、構成するものは、ぼくとパートナーを含めて40人という社会の単位です。
映画のロケーション的な考え方ですが、残された時間で確実に作品を制作するために、色々と手配しております。
こらからは、コロナ禍の中での作品制作というものも考えていかなければなりません。合理化が必要です。
近いうちに、母校をロケ地として考えております。