2019年08月10日

乗りかかった船だけど、では何を描くのか

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写真展出したら、通ってしまったけど、今後どうするのか。。

ぼくを選んだのは、オランダの写真家、リネケ.ダイクストラさんです。
「素晴らしい作品に出会えた」とのことだったそうです。
シンプルですが、とても嬉しい言葉ですよね。

キヤノン写真新世紀でのオリエンテーションがあったわけですが、ぼくは学習力が低いので、その名前を紙に書いて帰りました。
その後、どういう写真を撮っているんだろう?と思って調べてみたのですが、それはじわっとくる感じの写真でしたが、その強度に心が折れそうになりました。ぼくは、現在、作家として、そういった強度を持ち合わせていません。圧倒的な格差があると感じました。
正直な話、写真で驚いたのは、これが初めてかもしれません。
シンプルな日の丸構図のポートレートにも関わらず、多くの人の社会的背景が見えてくるのです。そして飾っていない。
たぶん、これは、天がぼくに与えてくれたヒントなのだと感じました。
そう、ぼくの情報処理は無駄が多いのです。もちろん、これは自閉症スペクトラムとも関係があると思いますが、情報を表すとして、最小限の情報で多くを記すということをしてきませんでした。

色々と考えるものがあるけど、乗りかかった船ですから、乗ってみるのも悪くないような気もしました。そういった表現が出来るのであれば。
ただ、何を描くべきなのか。
ただの綺麗な写真とか、昔の写真を模しただけの意味のない写真とか撮りたくないわけです。
シャッター押したら簡単に撮れる写真だけれども、作品として考えるならば、そんなに簡単なものでもありません。
作品となると、当然ながら社会的領域問題も発生しますし、そのキワの部分を撮ることになります。それに耐えうるだけの強度も必要なわけです。
世の中、ファッション写真が蔓延しておりますが、そういったものは多々あるわけで、今更それを撮ったところで埋没するのは目に見えていますし、基本的には深い意味も発生しません。

作品ならば、意味ありげでは成り立たないわけで、明確な意味を持つ必要があるでしょう。
難しく考えても仕方ありませんが、現在一つは、一応意味のあるものを作りました。ただ、そのアイデアは、映像のためのものでした。
なんだろうかな。
ぼくは、基本的に、この世の中が好きではありません。生い立ち上好きになれるわけがないとも言えます。個人的には、ここを偽ってはいけないとも思っています。
好きでもないのに、好きと言って、その輪にいれてもらうという方法もあるかもしれないけど、その時点で、ぼくの表現は終わってしまうかもしれません。
あと、その輪の中で大した意味もない、人よりも劣った人になりたいとも思わないわけです。
さて、どうするのか。。

posted by 超画伯 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記