2019年08月29日

ほんま韓国ばかりだな

昼飯の時に、たまたまテレビ見てたんだけど、室井佑月が国内問題スルーで韓国ばかり放送してるとか言ってたけど、マジで韓国ばかりですな。オマケにアートまで韓国ネタときたもんです。日本って韓国を軸に動いてるのかな?世界レベルで言うと、米対中、日対韓が、ほどよいライバル関係という感じになってます。ライバルじゃないとかいう人もいるけど、これって完全に意識してるし、ライバルだよね?それも両方没落する路線の。

こういうのって、身近な駄目な人見ながら、ダメダメ言ってる状態だと思うけど、それやっても、全然自分の成長にはならないんですよね。正直、こんなの延々と流されても、何の解決の糸口も無いと言いますか、所詮はアメリカ次第というか、韓国側で自浄出来るかぐらいしか解決方法無いですよ。まぁ弾劾とかで。日本?間延びしてグダグダ感も出てきてますから、どこかで、何も無かったことになってしまうとかもありそうですね。

そういえば、最近の日本と言えば、日本は世界から大注目!世界の中の素晴らしいニッポン!とかそういう番組ばかり。そんで、ニュースやワイドショーでは、くどいほど韓国なのは間違いないよね。韓国駄目だけど素晴らしいニッポン!ニッポンの素晴らしさが際立って見えるよ!とまぁ、こういう心理働いてそう。
これって、江戸時代じゃないけど、上見て暮らすな下見て暮らせを素でやっているといいますか、つまり庶民はアホのままでいてくださいと言いますか、そういった感じですよね。とりあえず、何百年たっても成長が無いというか、庶民がこれを続けるならば、日本は更に落ちぶれると思うわけですが、所詮重要なのは視聴率といった感じでしょうか?何にしても目先のお金が第一という感じでしょうか?馬の前に人参つるしたのと大差ない感じなのが人類という感じです。

とりあえず、気持ち悪い自画自賛と大したこともない相手をターゲットにした他者比較が今の日本の限界ということでしょうかね?冷静に考えたら、これってかなりまずくないでしょうか?自ら成長諦めてる感じですよ?日本の問題を語れば反日?そうやって何も見えないフリしても、何も良くなりませんよね?日本がネトウヨ化してるのかな?
反日反日言ってるけど、いったい、誰が反日なのか?

そうそう、他の日記でも書いてますが、ぼく、パヨクもいけんと思います。でもパヨク言ったら、ネトウヨは広義の意味で、自分以外何でもパヨクになってしまうから、極左と言ったほうがいいのかな?
最近思うのは、ネトウヨと極左を同じカテゴライズしたらどうか?というやつ。
21世紀って、テロとの戦いじゃないよね?世界中のリーダー見てみましょうよ。極左やネトウヨみたいなのがうじゃうじゃしてますよね?これ、ひとくくりにしたら、”アホ”で片がつくじゃないですか。こうすりゃ、完全に同じカテゴリーですよ。
21世紀は、アホとの闘いですよ。

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2019年08月25日

スーパーマイノリティ

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ぼくの目の前には、昔からある種の壁があります。
今は、自閉症スぺクトラム障害についてカミングアウトしていますが、これをしなければ、ぼくは常に不審者でしかなかったのです。
色々と、そういうのは関係ないと言われてきましたが、それは無いです。関係あります。周りがじわじわと壁を作っていきます。
ぼく個人の表現観と言いますか、そういう観方をするならば、そういった発言は嘘で、とても安っぽく、軽薄なものに感じます。社会の通例に従って喋っているだけで、何も理解できないのだなとしか思えません。
結論としては、カミングアウトによって、ぼくは不審者と思われないだけ、楽にはなったわけです。

知っている中での、ぼくの味方は、たぶん数人しかいません。数えるほどで、ぼくがやっていることを理解してくれる人は、更に少なくなります。とりあえず、社会との隔たりは大きいわけです。
自閉症スペクトラム障害ですが、これは個人差が非常に大きいのではないかと思われます。ぼくは学習障害を持ち、それなりに重度ですが、知的障害は無いタイプです。ぼくと会った人の印象は、天才、もしくは馬鹿、或いは気がふれた人間という感じでしょうか?しょうもない奴と思っている人も多いでしょう。

ぼくは、社会の軽薄な嘘を嫌います。ですが、本質的な事を言えば、それは”しょうもない奴”になってしまったりします。ある種の、社会的常識になぞらえて喋らなければ、それは、しょうもない事なわけです。嘘でも良いから綺麗ごとを言わないといけないのが社会なのかもしれません。例えば、日本式アートフェスの在り方で、逆に文化や民主性が衰退するといったような意見。常識的には、アートがそうであってはならないので、多くはその事を言わないというか、それにすら気が付いていないといった感じ。しかし、村社会である、この日本の社会を見る限り、そうなのは間違いの無いことで、違うのならば、違うという証拠を見せてほしいと思ったりします。その部分が、完全に思考停止されているために、ぼくには余計に危険なものに見えるわけです。
心配しても、仕方が無いのかもしれません。ぼくは、文化をそれほど愛してはいませんし、何かを作るのは、コミュニケーション手段で、その領域が狭められている現実を嘆いているだけなわけです。事実として、表現の領域は、狭められていると感じます。感じない人は、そもそも、どんな体制下でも問題にならないような表現をしている人たちなのかもしれないとも思ったりします。

同じ障害を持つ人たちと仲良くできるのか?に関して言えば、それだけでは仲良くは出来ないと思います。LGBTや少数民族のように、少数ながら団体になって行動できるとか、そういうのも無いと思います。
脳の障害で、それぞれが、あまりにも違うのです。
集団化出来ない以上、常に自分対社会の関係で、物事を対社会で見ていました。そういった意味では、社会を深く見つめてきたかもしれません。その中には、仲間などいませんでした。そういった意味で、スーパーマイノリティーなのだと言えるのではないかと思ったりします。

2019年08月20日

闇夜に脳が興奮状態に

ぼくの脳は、どんなに抑えようとしても、コントロール出来る代物ではないのです。
寝ているなかで興奮状態に陥り、ハイな状態に。。起きて寝られなくなってしまいました。

この状態は、今なるべき状態ではなくて、例えば多くの人の前で喋るときになってほしい状態なわけです。

ハイな状態が続けば、脳は疲弊して、鬱の状態が待っています。それだけは避けたいのですが、脳内物資による脳の動きというものは、自分でコントロール出来るものではありません。
根性とか、そういうものは無意味。脳内物質に抗える人などいないと思います。

脳の平均的な能力は決められていて、ハイな状態は、脳を一時的にオーバクロックしているだけにすぎません。
この時の自分の能力は、平常時に比べて異様に高くなるようですが、放置すれば破滅。。

明後日は病院の日です。

抑える必要はあれど、展覧会まで、能力を抑えるわけにはいきません。
人前で喋らなければならないのです。
その時、今の状態なら、ぼくは間違いなく他者を圧倒するでしょう。恐ろしいまでに頭が回転するからです。ですが、恐れるのはその時に鬱になること。。
今は、ナチュラルに低空飛行が必要なのです。

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2019年08月18日

久々の写真撮影

今日は、久々の写真撮影でした。というのも少々暑さが和らいだからですが、それでも野外は暑く、やはり活動時間は2時間が限界でした。
撮った写真は、とりあえずの作品クラスなので、ネットにはアップ出来ませんが、今後もこれを続けていく必要があります。
今は、寝転んでいて、動くのもしんどい状態。。
まっこんなもんでしょう。
人生って、すべてが上手くいくわけではないですから。

明日も、可能ならば撮影します。
人が見たら、奇妙な風景かもしれませんが、普通のもの撮っても意味ないですから。
体力が無いので、座ったまま撮影していますが、この制限のおかげで、逆に良い発想で撮れている可能性だってあります。
動ければ何でも撮ろうとするわけですが、それが逆に良くなかったりすることだってあるのです。とにかく情報量増やそうとしてしまいますから。
posted by 超画伯 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月16日

所詮サブカルが限界なのか

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最近、サブカルの面白さが分かりません。
そもそもあるものを焼き直すだけの文化でもあり、これをアートとして見るのにも違和感を感じてしまう事もあります。
あと、新しいものが登場してくる時にある、独特の緊張感もありません。あくまでも、慣れ親しんだものを焼き直しして、それを高度なものだと多くの人が錯覚しているだけのように感じます。文化としての発展性というか、少なくとも社会を何らかの形で向上させるものには見えないわけです。
とりあえず、日本人は、昔から他者を真似る事を好みます。僕の周りを見ても、ほとんどそうで、焼き直しから、受験テクニックのように、無難であたかも答えがあるようなものを作り、何らかの形で庶民受けする作品を作っているだけのように感じてしまいます。

今は、景気も悪く、とりあえず売れる作品というものが尊いことになっている気がします。となると、芸術など興味のない人々を対象にしたりするわけで、ある種の分かりやすさ、あと品の無さも必要かもしれません。別に意味もなく、風変わりな下ネタでもOKだったりもします。そこに、深い意味でもあれば、それは感心するのですが、別に珍しくもないものが大半だったりするわけです。
とりあえず、売れるものが最も尊いのであれば、日本においてはアイドルでしょうか?そういったものが、文化の頂点として君臨することになるのでしょうか?

個人的には、新しいものを知りたいので、科学とかのニュースのほうがよほどに面白いと思っています。何度も見たネタの焼きまわしには飽き飽きしているのです。そして、それは人から知性を奪っているようにも見えるわけです。
皆、頭が悪くなることを望んでいるのでしょうか?と思えるぐらい、最近は色々なものが酷くなったように思います。
人に好かれる要素として、頭が悪そうに見えるというのが実際あるように思えます。少年漫画等でも、バカが世界を救うようなネタが尽きないような気がします。実際、世の中を見る限りそんな事などあり得ないわけですが、多くの人はバカに親近感を抱き、共感するようになったと思います。一国の首相等でも、頭が悪そうに見えたほうが可愛く見えるのか、好かれたりします。それに何らかの安心感を覚えるのでしょうが、バカがトップで安心する世の中ってどうなんでしょうかね?
とりあえず、日本人は、そういう文化を作ってきたように思います。

多くの人は、劣化していく世の中に馴染もうと必死です。落ちていくスパイラルから逃れられない流れを作り出してしまっています。その事に気が付いたとしても、空しくなるほど世の中は無関心。
とりあえず、周りが皆同じで、バカなほうが安心できるということでしょうか?バカは分かりやすいから?それでは、ますます皆バカになってしまうような気がします。

個人的には、新しいものが見たいと思っています。そんなものがあったのか!と刺激を受けたいわけです。ですが、世の中を見ても、サブカルまでが限界という感じに見えてしまうのです。見たこともないものに反応できる人はほとんどいません。
何らかの文化があるとして、サブカルに取り上げられるとして、それに深い意味はあるでしょうか?サブカルはサブカルがサブカル内で有名になり盛り上がれば良いというような振る舞いをしているように見えます。それほど広い視野を持っているようにも見えません。
サブカルが尊い芸術・・それも、もうそろそろ終わるのかもしれませんが。
posted by 超画伯 at 04:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記