2019年07月21日

自分だけの作品を作りたい 「蟻のような」

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これまで、人の迷惑とか色々な事を考えて作品を作ってきました。
まぁ、空気を読んでいるわけです。

とりあえず、人の理解ギリギリの線を作ることで、社会との繋がりを保とうとしていたというか、そうしないと周りの人にも迷惑がかかります。
まったく評価されないものを作っても誰も見ませんし、注目もされません。
ですが、ぼくがやりたいのは、究極的には、誰にも理解されない作品ということになります。
色々と思いつきますが、まぁやめておこう、お金にも評価にも何にもならない・・で終わっています。せめて、どちらかが無いと、ぼくを支えてくれている人に申し訳ない・・と思うわけです。

今日も、少し動いたら、バテてしまって、立ち上がる事が出来ませんでした。左肩が猛烈に痛い・・まぁ、これが現実です。
ぼくは自閉症だから、何かを閉じているわけですが、人生の途中までは、普通の人のように育ちました。
色々と苦労があるわけですが、それは自分の問題で、個人的に怠けているからだろうと思っていました。ですが、色々とクリアしようにも、いくらやっても出来るようになりません。他の人は、自分とは比較にならない努力をしているんだなと、その当時は思いました。
そういう事の積み重ねは、確実に、自分の寿命を縮めることになったような気がします。なんか、もっと楽に考えて生きれば良かったのです。

ですが、ぼくにとって、評価は重要な事でした。
ずっと馬鹿にされて生きてきたのだから、自分の名誉回復こそが、人生の課題となっていました。コネという力を借りず、自力ですべてをクリアする事も重要でした。そうでなければ、自分の実力を疑うことになるからです。

田舎では、皆、仲が良いフリをしながら、影では落としあっています。自分が上がる事よりも、他人を落として、相対的に上の地位につくほうが、楽なのは、そうかもしれませんね。人が少ないから、そういうことが可能な村社会なわけです
「正しくない!」と言う人も、内心それが正しいと思いながら行動しているのはよく見ます。結局のところ、人前で良い人のフリをすれば、実際に良い人という評価がつくものです。
皆、良い人格者と思われようと必死です。
その良い人合戦の中で、ぼくは倒れました。善行を大アピールする自己宣伝に利用されたのだと理解しました。ちょっと前の制作での話です。
ここまできたら、もはや、黙っていることもバカバカしくなります。倒れて入院しても何の言葉もありません。ぼくが死を覚悟して制作している間ですら、ぼくを落としているであろう事は、明白に見えました。ぼくが、楽をしようとしているとか、作品を横取りしようとしている、と浅ましい事を言っているのだろうと理解しました。そもそも、会議での批判がそうでした。ぼくは、事実上、出来ない事は出来ないと言ったわけですが、出来ない事を出来るようにする事を求められたわけです。製作期間は、1年はかかりますと、当初言いました。何故か相談もなく、期限は8か月少々。
目標は、とにかく作品を完成させること。当初は、良い作品を制作する事としていましたが、期間内に終わらせることに目標を変換することになりました。予定していたことも、多く削減しました。その間、色々な要求もありましたが、すべて断りました。そのような素人意見を聞いているような時間は無かったのです。聞いてたら完成しません。知らぬ間に色々決めておいて、困れば「素人だから分からない、教えて」逃げ口上、ダブルスタンダードな発言など聞く価値がありません。
重要な事は、作品の完成と、自らの生命を守る事、それだけでした。
まぁ良い、それが世の中です。ぼくが、本当の意味で倒れた時のため、一応この文章を書いておきます。

制作中、父親が、脳幹梗塞で亡くなりました。脳幹梗塞で倒れ、4年間全身マヒ、動くことも喋る事も出来ませんが、意識はありました。ぼくたちが言うことを理解していて、目で語りました。その闘病生活は、想像を絶します。まったく動くことが出来ないという苦痛、そして硬直していく体。
葬式の日も、式が始まる前、終わった後は制作。ぼくは、責任を果たす必要があります。ぼくの仕事に、代わりはいません。
その半年後製作は終了しましたが、気力のみで行ったため、ぼくの脳はオーバーヒート、体の調整が出来なくなりました。そこまで、出来ていたことは、すべて出来なくなりました。

制作後、知人に「この作品を色々と広めるために動くのか?」と聞かれましたが、「できない」と答えました。周りは、無責任と怒っていましたね。ですが、もう余力は無いんだと説明しましたが、誰も理解できなかったようです。
基本的に、ぼくがそう言う時は、だいたい素直に言っていることは皆知っていると思っていましたが、そうでもなかったようです。
他の人に、制作が厳しかったと言ったら、「そんなのは、皆同じだ!」とも言われました。申し訳ないですが、それは無いと思います。仕事量は、他者を圧倒していました。

その二月後、脱水症状を起こし、ぼくは倒れました。頻尿になり、一日に100回近い尿を出したわけですから、手などもしおれて、しわしわになりました。当然それでは寝る事もできません。電解質が崩壊して、体のコントロールが効かなくなったのです。
その後、脳のコントロールが効かなくなり、重度のうつ病を発症。未だに治療中です。
1月に、インフルエンザに感染し、脱水症状を併発、更にアカシジアを発症、危険な状態に陥り、ぼくは入院しました。誕生日の翌日です。フェイスブックには、誕生日の祝い文がタイムラインに並んでいましたが、返事を途中で書けなくなり、病院へ運ばれました。
その後インフルエンザの事もあり、隔離されました。脱水で危険な状態にあったため、点滴等も続きましたし、脳内では、「くるしい、殺してくれ」という声が渦巻きました。死んだほうが楽な状態が続きましたが、うつ病も発症していて、独房の中での治療です。自殺を防ぐために、何もない、四角い空間に閉じ込められました。
「たのむから死なせてくれ!」と何度も言いましたが、それをさせない措置と処置が行われました。
この時、過労死というのはこういうものなのか・・ここで踏みとどまれなければ死ぬのだなと理解しました。

その後退院しましたのは、責任上、作品を映画祭に出品するためでしたが、お願いして、予定より2か月早く出してもらいました。書ける文章は一日10分程度、それ以上は、思考することが出来ず、書くことは出来ませんでしたから、コツコツ10日ほどかけて、文章を書き、映画祭にエントリー。一応一つは通りました。色々と足りない作品で申し訳ない。
安堵で倒れ、その後はしばらく何もしていません。というか出来ないのです。

昨年の話ですが、夏が来て何かしなければという、焦りが沸いてきました。ですが、映像作品は無理です。仕事も無理です。
その時、これかな?と思ったのは写真機です。
時間軸も無く、都合で、一日数分の作業でも、写真は撮れます。
この時思ったのは、制作で何も出来なかった父親の最後の事です。この事が気がかりで、頭の中には、映像が浮かんでいました。
ですが、映像は無理です。
写真でも出来るかもしれない、と思いました。

ぼくは、制作を開始、何枚かの連作です。少しだけ撮って、休みながら撮影を行うのです。
題名は「蟻のような」としました。ごくごく私的な作品制作の開始でした。

posted by 超画伯 at 00:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 写真日記