2018年12月31日

今年も終わりか〜

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今年は、なんかよく分からない間に終わってしまいました。
いったい何をしたのか、記憶にありませんが、寝たきり中年みたいなことをやっていたような・・
来年はもう少し元気になりたいものです。
虚弱すぎて、トレーニングしたら、すぐに倒れる有様・・
一度、漢方でも試してみようかと思います。
まずは健康になることから。

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2018年12月28日

最新の物理学を調べようとしたら、スピばかり

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時間 今しか存在しない で検索してみました。
すると、ことごとくスピリチュアルっぽいページがヒットしてしまいました。あとは感想文が多数。
当然、物理や量子力学は、真面目に研究されている分野でしょうが、残念なことに、ネットには古い情報や浅い情報しか出ていません。いやはや所詮ネットです。

SF的に、この世界には、自分しかいなくて、この世界は自分が創りだした想像の産物という考えや、故に自ら苦しみを課しているという考えは、分からなくもなく、そういうのは幼少期から考えれば、何度かは想像してみたことです。
だから、すべてを手放そうとくるわけですが、ならばお前は、わけの分からない集金をするな!と言いたくなってしまいます。
色々と、ああだこうだと言っているわけですが、結論としては、考えることを手放そうと言っているわけです。
で、この世には、あなたしかいないと、赤の他人が述べていたりします。
だとしたら、まず自分が手放すのはお前の存在そのものだと言ってやりたい。
逆に聞こう、この世にはお前しかいない。そして、この世の不条理は、お前が創りだした産物だ。その物欲は本来はなく、この世は愛に満ちあふれている。
だから、その無用な集金は手放しなさい。

つまるところ、こいうのって、集金の理由を考えるな!奴隷になれ!と言いたいだけなんだろうなと考えます。

つづき
posted by 超画伯 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年12月26日

自閉症 自分の中と外の差

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個人的には、それほど動いた記憶もありませんし、動いていたとして、いったい何をしていたのか?という形跡を見ることも出来ません。
残っているのは、異様な体の疲れだけで、目も非常にチックな状態になっています。
この間、ぼくは非常に過集中をしているらしいですが、記憶に無いのだから、自分の中では何もやっていないという感覚にしかなりません。
分かっていることは、この一年まともに動けなかったこと。
それでも、ぼくは動いていたらしいですが、これといって何も残せていません。
時間そのものが無かったのではないか?と疑いたくなります。

先日は、知り合いから、社会学の話を聞きました。
その後、ぼくは、ひたすら喋っていたらしい。
相手も自分も疲れるのだし、先日までうつ状態だったのだから止めたほうが良いと促されたのですが、自分がそんなに喋っていたのか、よく分かりません。
だいたいですが、世の中の構造や、日本人とは何かとか、バランスと美的感覚を失った芸術の話とか、そんな話だったように思います。
これらの話は、自分の脳内で構築されているらしく、延々と話すことが出来るようになっているらしいのですが、きっかけが無いと出てこないのも事実で、今このように書いていても、何も出てこないわけです。

とりあえず、軸について、ぼくの頭は動いている間、目まぐるしく思考しているようです。
ある部分に軸があって、その両側のバランスがとれているものは健全であったり美しかったりすると考えていて、それを欠いているものは美しくないという感じで。
どこに軸を置くのか?で、物事の姿はおのずと変わってきます。
その時のバランスがどうなのか?が、重要な問題なわけです。
断定形の言語を使うと、思考が止まるので、そこは慎重に考えている感じです。
世の中が常に動いているように、軸も常に動いているわけで・・
断定形の言葉に、多くの人が乗るのは、思考しなくても良いという安易さと引き換えに、美しくないような気がします。皆がそれに乗れば、それはバランスを欠くわけです。
色々な自然界の事象における、左右を見てみると分かりますが・・例えば、赤道を軸にした左右では、気圧がそれぞれ逆回転だったりで。

自分の中と外の間に軸を置いたらどうなんでしょうね。

posted by 超画伯 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年12月25日

クリスマスチキン うつ 個人的終末

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メリークリスマス
残念なことに、今年のクリスマスも鬱状態でむかえました。
ですが、まだうつ病という段階までは進んでいないと思います。
急性期ならば、文章どころか、質問にもまともに答えられなくなります。
これ以上進まないことを祈ります。

うつ状態に陥ると、著しく頭の回転は悪くなるのですが、見えなくても良い現実は見えてきます。もちろん、平常時ならば、現実を知っているとしても、それをガードすることが出来るのですが、それが出来なくなります。
チキンを見ながら終末的な考えに陥ったりもして、何故この世が地獄のようなところなのか考えてしまうのです。
自分の中に終末的なものを感じると、同時に懺悔の気持ちが恐ろしく強くなります。自分の悪行を悔いるわけです。

そういえば、20世紀末には終末思想的なものが多く流行りましたが、それは愚かな人類の所業を最後に懺悔するというものが多かったような気がします。
終わりが近づくと、そういう心理になるのでしょうし、そもそもその終末そのものは人類の所業によって起こるという考えのもとにあったことも関係あると思います。
そのことは、ある種の心理的ストッパー的な役割も果たしていたのでしょうし、平和のための努力であったり、環境に対する意識だったりを高める要因にもなっていたような気もします。
人間の競争力は凄まじく、単体で世界を滅ぼす能力を持っているという意識も強く、食という残酷な行為によって自分たちは生きているという意識も、今よりはあったかもしれません。
結局のところ、あの完全な嘘っぱちのノストラダムスの予言も、ある種のストッパー的な役割も果たしたでしょうし、信じていない人も無意識的に何らかの終わりが来ないようにと感じていたように思います。
その、生命が追い詰められたような、せっぱつまった意識は多くの芸術を生み出したようにも思います。そして、中には、今では見るのが辛いような内容のものも多く生まれました。ですが、社会(世界?)を維持するためのバランスを保とうという意識がその中にあったように思えます。

ですが、予言は当然ながらはずれ、その後は何かが外れたように、色々な意味で、現実を見せなくなったような気がします。基本的に、人間がもたらす悪のようなものは、以前よりもはるかに蓋をされてしまいました。
終末は無かったのだから、もっとバラ色の世界を見せてくれというような意識も生まれてきたのかもしれません。
どちらかと言えば、人間の素晴らしさとか、この世界の素晴らしさとか、守られていることが前提の、あまり考えないことの推奨とか、そういったものが、もてはやされて、いよいよ考えなくなくなったような気がします。そんな事よりも、集金や搾取の方法を考えて清い言葉でそれが分からないように人を集める方法を考えろ、相手には考えさせるな・・という感じで、とにかく考えない事を推奨しているように思えます。
正直、世界を持続できるレベルでのバランス感覚も失っているようにも思えます。
社会が抱える問題から目をつぶるような方向に向かい、過度な競争も激しくなり、それからすら目をそらすことが推奨され、それを見ないまま意識だけ高く持つように、社会そのものが洗脳されてしまっているように見えたりします。
意識を高めることは、個人の生産性を上げるということなのでしょうが、それによって何かを得るわけでもなく、営業成績が上がったとか、それを誉として満足せよという感じになっていて、基本的には、猛烈な勢いで上から吸い上げられているだけのような気もします。

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なんにせよ、自分も、何らかの搾取をしなければ生きていけない世の中で、適当に描いたヒエラルキーですが、自分よりも下の階層には不幸を強いるような世界に生まれてきてしまいました。ぼくは、基本、生き物しか食べれないように出来ているのです。
チキンを見ながらそう考えたりするのですが、まぁ、ぼくも何かに隷属していて、それが覆らないことも分かってきましたし、こうしてうつ状態になれば、自分のために死んでいった、何億の命に懺悔したりするわけです。
うつでさえ、猛烈に苦しいのだから、死の苦しみは計り知れません。
たぶん、この世界が地獄なのだろうと思ったりもします。
感謝とかしても死んだ者も搾取された者も、思考できるとして、それを納得することは無いでしょう。
うつと合併症で死にかけたとき、ぼくの脳はそう言っていました。

感謝というのは自己満足なのかもしれません。ですが、そうして思考を閉じることで、都合の悪いものは見えない、聞こえない、考えないようにして、ぼくは生きながらえているわけです。
通常時の脳には、虚構の美しさを見せる、バラ色のフィルターがかかっていて、それが生命維持装置として働いているのです。

うつ状態での忘備録です。

posted by 超画伯 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年12月23日

忘年会 世の中の作品のつまらなさを考えてみる

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薔薇と迷宮で忘年会でした。
深夜に解散でした。
なんか面白い映画でも漫画でもなんでもよいから無いかなぁと色々と聞いてみたけど分からず・・
冷静に考えると、メジャーなものは一般化されているので、これといって刺激も無くて面白くありません。
要は、より多くの人が分かるように作られているわけです。
最近は何でもビジネスビジネスなわけで、基本的に売れる要素で作られていると思います。
で、そういうのが尊いと思われている節があります。まぁ時代の風潮でしょうか?
なので、特別変なものがあるわけでもなく、仮にあったとしても、まず市場には出ていないという感じでしょうか。
ちょっと変わったものを人に試しに見せてみると怖いと言われたりします。正直、何が怖いのか分かりませし、本気で怖がっているのかどうかも謎ですが、どうやら怖いらしい・・
自分が変わっているとアピールする人も、時々というか、けっこういますが、残念なことに新たな領域に踏み込みませんし、もはや一般化した変とかグロとかエロの話しかしません。そういう人は完全にステレオタイプなので、見たことのない小動物程度でも怖がったりでよく分からなかったりします。
世の中、お笑いのお約束のごとく、もはや固定されてしまっているような気もします。
○○じゃないと邪道とか、物事を決めつけているわけです。
たぶんそういうやり取りの反復は、自分の脳を退化させそうな気もするので、そうではないコミュニケーションを試みようと思っています。まぁ只の変な人にしか見えないのかもしれませんが・・

そういえば最近、ネットに上がるニュースも話半分程度にしか見ていません。世の中を何かの都合で動かすための情報も明らかに仕込まれている感じですし、そういうもので敵味方に分かれるような操作もあるような感じです。ほとんどの人は、相手から見たこちら側というものを想像しないのか、単純に善悪に分けてみたりで、自分たちが、また相手側からそのように見られているということまでは想像しません。こちらからの仕掛けで、相手側が悪に見えるならば当然ながら相手側も同じような方法で、こちら側を悪に見立てることは可能です。
冷静に見れば、相手にある種の悪意があるとすれば、それは当然自分たちにも該当するというような想像力もありません。
人間の思考というのは、かなりご都合とった感じです。
基本的にそういった思考を前提に色々なものが作られたり話されたりしている感じです。
世界から良い目でばかり見られている日本というのも滑稽です。これで優越感を抱いているとするならば、かなりおめでたい話だと思いますが、残念ながらそうなのだろうといった感じです。これを他所の国がやっていたならばどうか?という目線は多くの場合感じません。個人的には、それはけっこう気持ち悪いものです。
プロバガンダといいますか、近い将来、未だかつてない善と悪の戦いとかの映画とか、また出てきそうな気がしますが、そういう領域から、次のステージに行くようなものを見てみたいと思います。

posted by 超画伯 at 03:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記