2018年09月30日

Dance Performance 2018 撮影

DSC06324.jpg
今日というか既に昨日になってしまったのですが、ダンスパフォーマンスの撮影をしました。
イベント名は、岡山現代舞踊連盟さん主催の Dance Performance 2018 (ダンスパフォーマンス2018)というイベントでした。
28日からの撮影で、懐かしい面々とも再開。
そういえば、今年は1月から入院していましたし、それより前は、とにかく忙しくて誰とも会う時間はなかったわけです。
撮影の仕事としては、これが復帰第一回目ということになります。
思うに、この依頼が来た直後の自分といえば、まだ頭が朦朧としていて、仕事どころではなかったわけです。
しかしながら、調整次第で絵画教室や写真部もやっていましたので、そろそろ可能だと判断して、依頼をうけることに・・
そもそも何故依頼があったかというと、さかのぼること2年ほど前、岡山現代舞踊連盟さんにはお世話になっていたようです。

K_1R7226-E381AEE382B3E38394E383BC.jpg
これは、その時のイベントの写真ですが、このイベントをきっかけに、連盟さんから声がかかったわけです。
嬉しい話ですね。

つづき
posted by 超画伯 at 03:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2018年09月25日

当然ぼくも洗脳されています

名称未設定 1.jpg

当然ながら自分も洗脳されていると思います。

洗脳といえば、オウムとかのを思い出す人もいるかもしれませんが、あれとはまた違った形で洗脳されていることは間違いないでしょうね。

世の中には決まり事が色々とありますが、それを本能的に持ち合わせて生まれてきているとは、ちょっと思えません。

決まり事があれば、物事を考えなくても済みますし、効率も良く、社会をまとめやすい・・

ある人物が「自分は自分で物事を考えられるから、自分は洗脳されていない」と思ったとしても、実際に考えているのはごく一部になると思います。

色々と行動を行うにしても、それらをいちいち考えながら動くことは非常に困難です。

物事を考える場合、ある点に着目して、それが事実なのか検証する必要があります。色々と謎解きをする必要がありますが、それはきりの無い話で、だいたい、”あるソース”に行きつくと思います。

その”あるソース”を実際に検証する人は少ないと思いますが、多くの場合、自分に不都合が無いならば、それが正しいものだと認識したりします。

実のところ、そのソースすら必要が無く、ある人や多くの人の強めの言葉だけでも、それを正しい情報だと認識したりするものだと思います。

そういったものを極力排除するのが科学的検証方法なのかもしれませんが、それで検証されるまでは、だいたい、ある人や多くの人の強めの言葉を信じることになります。

科学的検証による実証が出てきた時点で、それは”あるソース”になったりもしますが、それが事実であるかまでは検証することは、あまりないでしょう。

とりあえず、科学的検証によって、飛躍的に社会が発展してきたのは確かで、今のところ一番信頼できるソースではあると思います。

しかしながら、突き詰めていけば、そこからは多数の説が出てきて、検証そのものの信頼性も揺るがせたりしてしまいます。

けっこう、この世界の情報は曖昧なため、そのすべてを疑うことは困難極まりなく、そこで社会に都合の良い落としどころを作り出し、それを常識化して多くの人が受け入れる。。

こういった事を知らず知らずのうちに繰り返しているため、洗脳を解くことは非常に困難だし、それをすることで、社会との調和がとれなくなることもあるでしょう。

人間の脳に、すべてを検証するほどのパフォーマンスが無い以上は現代も昔と変わらず迷信に満ち溢れていることは容易に想像できるのです。

実のところ、根拠のない強い言葉が乱立するネット社会こそ迷信を乱立させる社会なのかもしれません。


posted by 超画伯 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年09月20日

何をもって自閉症なんでしょう?

ファントム02.jpg

ぼくは、自閉症という診断を病院での何度かのテストの結果受けているのですが、いったい何をもって自閉症となるのでしょう?
物事の関心が、世間一般と大きく離れていることも、学習力が著しく低いことも理解はしていますが、自分から見た世界というのは自分という存在があって、ごくありふれた風景が周囲にあるという印象で、特別に違うものが見えているわけではないという感じで見ています。
ただ、人と接するのにエネルギーが随分と必要だということは、体調を崩してからは感じていることで、結局のところ内向的で自分の中に籠っているという意味ではそうなのか?とも感じます。

他人を見て少し不思議に思うことですが、他者は、自分の考えというものを理解しているのでしょうか?という疑問がわくことがあります。
自分の考えとは何なのでしょう?
ぼくには分からないことです。
けっこう多くの人が「これはこうだ」とか「これはこうあるべき」とか言っていることに違和感を感じるのですが、けっこう決まりきった世の中を見ていることは分かります。
強く断定されると。「そうなのか?」とも思うわけですが、しばらく時間が経過すると、「いや、違うかもしれない」とか疑問がわいてきます。
もしかしたら、この世の中が変だと思ってはいけないのかもしれません。歪みの部分は、ぼく自身の問題でしかないのかもしれません。
なぜなら、多くの人は、ある種の断定形の言葉を理解しています。それを集団で受け入れて共有することで、コミュニティーを維持しているのだという感じをうけます。

ぼくは、基本的に物を作るとき、その意味を言葉では理解していません。「???」を具現化しているだけのことです。基本、資料すら見ていないので、「○○に関心がある?」とか「○○を見た?」と言われても、ほぼ該当しません。
多くの人は、部分的な要素を既存のものと照らし合わせて、それを一致させることで、心の平穏を保っているように思われます。シンプルにグループ分けすることが、心の平穏を保つコツのようです。
しかしながら、ぼくのパートナーとなる人は理解することですが、ぼくは、ほとんど人の創作を見ないということ・・
多くの人は、単純に、ぼくや他者が見ている現実の世界の類似性の部分を見て、ある人の創作との類似性を見出そうとしている感じを受けます。

ぼくは、創作の社会の中ですら内向的で、誰かに憧れることもまずありません。そういったタイプの指標を持つことの重要性について聞かされることはありますが、そうはなりません。どうやら不可能なようです。
作品の目的も非常に曖昧で、自分ですら理解できていません。
指標も無いものを、黙々と作っているだけのことです。仮に指標があるときは、社会に対しての敵意というものがあるときぐらいです。
だからこそ、自分の作品の説明については、特に困るわけですが、これが言えないことが、創作の世界の中では問題視されるわけです。
ぼくは、そもそも言語に関する学習障害が強めにありますので、もし何かを理解しているとすれば、それは言葉ではないもので理解しているのでしょうと思ったりするわけです。
おそらく、物事の理解の仕方が他者とは大きくずれてしまっているのでしょう。
posted by 超画伯 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年09月18日

顔真っ赤っか

PK1N0927.jpg
先日は気持ち悪くなって顔が真っ赤になって寝込んでしまいました。
なんか、体温が調節できていないみたいです。
本当に無理はできないですね。
良いことばかり言ってたら、脳は簡単に騙せて良い結果が出るとか、バブル崩壊してからしょっちゅう聞くんですが、残念なことに体は騙せないみたいで、無理は来るようです。
というかそういうこと言いだしてからの社会の劣化は凄まじく、そんなものが果たして効果があるのかが疑問ではありますよ。
意識高い洗脳を自分にほどこしても、ベースとしての意識は著しく低い、鼻息だけが荒い人が多いのでまぁ察するところではあります。
とは言いましても良いことばかり言ってた記憶は無いのですが、ネガティブシンキングだろうがポジティブシンキングだろうが、動かしすぎた体や頭はダメージを刻んでいるわけですよ。
じゃあどうやって、そういうのを回避していくのか?と考えると、特に思いつかないんですよね・・つまり社会構造そのものが人体も消耗品になるように構築されてますので、そこから変えないとどうにもならんのですよ。
まぁ、鼻息荒い人がそんなことは無い!と言いはるだろうし、面倒くさい世の中になりましたよね・・
posted by 超画伯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年09月11日

絵画教室のテキストの絵

少女03_0005.jpg
絵画教室の光学モデルの説明用に架空の人物の絵を描いてみました。
実際にはあり得ない形に任意の光源を設定して描くというものです。
ここまで描いたのは久しぶりで、こういった感じで描くのも初めてです。
とりあえずテキスト用で、自分では何とも思わなかったのですが、他人に見せると怖いらしい・・
色々とずれているんでしょうね・・

posted by 超画伯 at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) |
リンク集