2017年06月10日

国際的文化イベントに対する疑問

たぶんグローバリズムは終焉して、また復活を繰り返すのでしょうが、これは歴史的に見ても順路といいますか、グローバリズム→ローカリズム→グローバリズムの流れを人類は繰り返しているように思えます。

この世に溢れる情報は、現在のところ、グローバル資本主義に都合の良い情報がまだ優勢というか多いというのが実感としてはあります。
彼等には、お金があるのだから、このグローバル化に都合の良いイメージが優先されるのは当然のことでしょう。

今まで見てきた実感として、国際的な文化イベントというものに集まるイメージというのは、そのままグローバル化に都合の良いイメージが多いのではないか?と思えます。
一見ローカリズム寄りのようでも、グローバリズムを利するものであったりで、自称左翼主義者とかには、このタイプは多く、日本の場合は自称保守主義者がグローバリストであったりで、ほとんどの場合は日本人には向かないこの考えに染まっていたりとか。
世界中のメディアがそれをスポンサーの意向で垂れ流すのだから、多くがそれに洗脳されるのは、当然といえば当然のように思えます。
もちろん、それに反するものも、天然で存在したり、分かっていて、主催者に分からないようにイメージを忍ばせていたりするケースもあるかとは思います。

古風なのか、新しい時代のものなのかは、ローカリズムの時代に近いのか、グローバリズムの時代に近いのかで異なってくるように思えますが、自分流に古風に言いますと、クリエイターというか、アーティストというのは平坦になりつつある世の中にノイズを起こす存在なのではないかと思っています。※只の目立ちたがり屋ではなく
現代で言うところのグローバル化というのは、世界を平坦にする作業というか、平均化させるという事実が存在するわけですが、ノイズを起こすはずの存在が、世界を平均化させる存在にとって代わられる、あるいは、そのように合わせる行為をしてきたのが、ぼくが生まれてから見てきた世界なのだと思ったりします。

平均化は、ある程度の平等をある段階まではもたらすかもしれませんが、個を破壊してならす行為でもあって、今の問題は後者寄りのように見ています。

良い事がもしあるとすれば、それは反作用が上手く働くかどうかなんでしょうか・・
posted by 超画伯 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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