2017年01月16日

風雨で破損しながらも

シーケンス 01-部屋腐敗アニメーション (0-00-45-00).jpg
「きよこのくら」のアニメーションは引き続き制作中です。この、永瀬清子の蔵の中を動かすのも一苦労で、10日で3分ほど制作できる勘定です。基本的に、ワンショット3分ぐらいの猶予しかないので、その間にはしごを出して処理して、はしごを担いで撤収、シャッターという感じです。
先日の風雨で、蔵がかなり破損していて、今日はそれの修理をしてからの撮影・・直したり動かしたり壊したり撮影したり、持ち帰ったファイルを編集したりで休みは寝るときと飯のとき程度ですが、いつ崩壊するかも分からないので、はやくどうにかなるところまで撮影しきりたいところです。
明日ももちろん作業ですね・・今編集中

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2017年01月08日

生き物としての「死」

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今日は、術後のウォーミングアップのようなものですが、5時間でなんとか60ショット程度でした。とりあえず、これはアニメーションの一コマということになります。基本的に、アーク溶接機とノミで、徐々に壁を破壊しているのですが、鉄板の壁は、予想外に硬く、簡単には溶けてくれません。アーク溶接機を上位のものにすれば、幾分楽にはなりますが、残念な事に現在の環境では20A以上のコードを引くことはできないため、非常に地道な作業になります。
今後、最低でも、一日200ショットの撮影が必要なため、工夫が必要です。
一応脚立等を使用しているのですが、これをワンアクションごとに撤収して、撮影という形になりますので、非常に過酷な労働ということになります。計算では、200ショット撮るためには10時間以上の時間が必要そうです。それも、もちろん要領を得ればということになります。
帰宅後は、毎回編集することになりますが、これに3時間・・トータルで最低13時間の労働が必要になりますが、色々な意味で酷使することになるでしょう・・
とはいえ、このイメージこそが腐敗のイメージでもありますし、まさに生き物として、生きながら腐敗していくイメージそのものを描くことが、ぼくの重要な役割でもあると思っています。
永瀬清子の泥臭い仕事を表現するためには、ぼく自身も泥臭い仕事をする必要があると思いますし、安易なものではあってはならないと思うのです。
昨今は、口も見た目もクリーンでスマートな仕事が好感を得るのでしょうが、ぼく自身の人生経験を考えても、それはあり得ないことです。そういうのは自分ではありませんし、物事に蓋をして、良いかっこをするのはいい加減にしろと言いたいところです。見えないようにしても、その蓋の下は無残に腐敗が進行していることに気がついたほうが良い。
最終的に、この建物を死に向かわせることで、生き物としての表現をします。
そして、その生き物が見た記憶を表現できればと思っています。
ただの、「物」が無くなるだけの表現では、これから失われていくものたちの尊さを本能的にすら理解できないでしょうし。

posted by 超画伯 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | きよこのくら関連

永瀬清子について調べているものの

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永瀬清子について調べているものの、意外に資料が少ないのと、絶版になってしまった本も多くて、あまり読むこともできません。
あと、膨大な撮影と編集のため、時間そのものが無いというのもあります。
今日記事が書けているのも、たまたま手の手術で、作業を禁止されているからであって、明日には作業も再開する予定です。
この企画そのものが、決定から開始まで2週間足らずで始めていて、3月の解体までに先にやらなければならない事が多すぎますし、なかなか人を訪ねる事が出来ないことから、先に素材を作るという方法で制作しています。なので、当然ながら勘に頼ることも多いのですが、ぼくが聞いた断片から得られたイメージというのが、意外にも永瀬清子本人に対して言われるイメージに近いらしく、なんとなくですが、世界観をつかんでいるという気もします。
彼女の実績を追うと、戦後という時代を考えますと偉人と言える存在だと思いますし。農業から詩のヒントを得るというところにも共感しております。
ただ、世界を見る目という点では、ぼくは保守的な人間ですし、基本的には反対の思想を持っていると思います。世界が繋がったとして、どうやって治安を守り、富の再分配をするのか?ということを考えるとき、ぼくには世界の統一のような考え方は無理だというのが前提としてあります。人間はそれには幼なすぎますし、その幼さが加速しているのが今という感じで見ています。現代だからこそ見える事なのかもしれませんが、この世界は色々なバランスによって保たれていて、それが崩れ去れば力のみが支配する世界が待っているという点では、以前の戦前もそうだったのではないかと思っています。戦乱を経験している人からすれば、その状態からより良い方向に引っ張るという意味で、かつての平和的思想は有効だったかもしれませんが、現在では、そういった地球市民的意識は、グローバル資本の餌食になる状態に至っているように思えます。もちろんこれは、永瀬清子さんと、ぼくが生きる時代が違いうからこそ起こる考え方の違いなのだと思っています。その時代その時代で考え方というのは変わらなければ生きてはいけない現実というものが存在するということでしょうね・・より良い判断というものは、本当は、その時代に生きる人たちが色々と考えていかないければならない事なのでしょう。多くの人たちは過去ばかり見たり、それすらも見ず、より軽薄なものを好んで考えないようにしようという風潮すら感じますが・・

ぼくが、永瀬清子という人に対して偉業と感じる部分の一つには、ハンセン病患者との関りというものがあります。政策としては、日本は、その分野では非常に遅れた政策を当時行っていたわけですし、当然ながら差別も根強かった時代に何十年も、長島愛生園に通って詩等を教えていたことです。
記念館に行ったり、本などを読んで思ったことですが、意外なほど、この部分に関しては空白で、書かれておらず、ぼく自身はこの点に関しては触れたいと思っています。
もう一つ思うことですが、永瀬清子とういう人が書いた本も絶版が多く、残るものが少ないということが気になっています。この人が行ってきたことや、人物像を知れば知るほど、何故この人が、それほど有名ではないのかが不思議ですし、現在だからこそ読んでほしい内容の本も何冊かあります。残念な事にそれは古本を探すことになるかもしれません。

生家の蔵は、この撮影をもって消えることが予定としてあります。
ですが、ぼくが思うに、同時に永瀬清子という人の痕跡も消えていくという空気も感じております。
そうならないために、ぼくも何とか頭を使ってみるつもりですが、これは、ぼくという小さな存在だけでは不可能なことでもあります。多くの人の支えがあって、やっと永瀬清子という人が再び現代に蘇るのではないかと思っています。
彼女が師と仰ぐ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、たしか、この永瀬清子さんが探し出したものだったかと思いますが、生前それほどでもなかった宮沢賢治が、有名になったのは、こういった人々の活躍があったこともあると思います。
そういう活動というものは地道な継続が必要なのではないかと思っております。

posted by 超画伯 at 02:42| Comment(2) | TrackBack(0) | きよこのくら関連

2017年01月05日

今日は坂本弘道さんと音源の収録でした

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今日はスタジオ化した永瀬清子の蔵の中での音楽の収録でした。写っている人は坂本弘道さんです。
実際の映像もこのような感じになりますが、この段階ではまだまだ素材でしかありません。
ここからが正念場になります。
先日、ご近所に挨拶をしていただいた皆さま、本日協力していただいた皆さま、ありがとうございました。

posted by 超画伯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | きよこのくら関連
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