2016年11月05日

岡山映画祭へ

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今日は、岡山映画祭に行きました・・映画を見に行くのは、イメージフォーラム・フェスティバル以来でしょうか。
”幸福は日々の中に”という題名
終わったあとは、20分ほどのトーク。
障害者の施設に関するドキュメンタリー
色々と正解のない世の中ですし、それを作者自身言われているわけですが、そういう世界がもっとあれば良いのにという回答。
管理された社会が嫌だからということらしい。
ぼく自身は、一つのコミュニティーのあり方が蔓延した世界はあんまりという感じです。そもそもユートピア的なものの存在を否定しております。完成した時にはディストピアしかないという考えです。世の中が流動せずにはいられないように出来ていることも、その要因の一つです。
ぼくには、そういう施設が管理されたものに見えるし、それを幸せと感じる人もいればそうでない人もいるだけだという感想です。
実のところ、管理された世界こそが楽なわけで、コミュニティーを離れて新たなコミュニティーに向かうのは、自分に合う管理を求めての移動と考えるとしっくりします。
仮に本当に自由であるならば、皆がそろって音楽を行うこともないだろうし、オブジェを作ることもないでしょう。それを与えている人が存在するということになります。食事に関してもそう・・
都合よく自由自由と言われますが、自由ほどつらいものは、なかなか無いわけで、それこそ、すべて自分で考えて、自分の責任で行動しなければならないわけです。
楽なのは、与えられた”自由っぽい”世界ということになると思います。
例えば、ぼくのペットは暇があれば遊んでいますが、ぼくが管理した世界の中で自由っぽく遊んでいます。餌を約束しているのも、ぼくです。実のところ、彼らの自由の世界というのは、厳しい弱肉強食の世界に他なりません。その世界は、2体の親が生んだ子は2体以上は生き残ることのできない厳しい世界で、案外多くの人はそのことを知りません。もちろん平均2体ということになりますが、鳥ですら何十羽という子を産むわけで、そのほとんどが繁殖以前に死んでいるという計算になります。そうでなければ、大量発生をまぬがれないわけです。老化も死に直結しますし、衰えは休みを与えれず、ほぼ捕食される最後をとげることになるでしょう。
ここで動物との比較なんて・・と思われるかもしれませんが、歯に衣着せぬ表現というものがあるならば、人間の世界にもそういった隔離された空間があって、自由っぽい空間があって、それをどう感じるかの問題でしかないというのが現実なのではないでしょうか。
たぶん、ぼくは自由っぽい空間も自由も長くは耐えられません。それが交互に都合よく訪れる世界が最もストレスのない社会なのだと思えます。この同じ状況に長くいられない人間というか動物としての習性が語られれば更に面白かったかもしれません。
ちなみに、こういうものを交互に願うというのは、一般的には「わがまま」と言われるのでしょうね。
その「わがまま」をどう捉えるかも幸せについて考える需要な要素なのかもしれませんね。そういうのは当然嫌われます。
嫌われるストレスや色々なストレスの中のバランスというもので人は生きているのでしょう。

帰宅後制作・・これも自分の自由行動です。

posted by 超画伯 at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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