2016年04月07日

パナマ文書に思う

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パナマ文書に思うことを書きます。
ぼくは以前からアートで言われ続けてきた繋がりという言葉をとても胡散臭く感じていました。グローバリゼーションとかよく言われだしたころから、いつの間にか合言葉になって、世界が繋がろうと・・これは良い言葉なわけですが、そういう感じの言葉は批判されにくく、隠れ蓑になりがちで、その陰の部分は覆い隠されて知られることもなく、実に都合よく使われる・・今の世の中はそのように構築されていると感じていたからです。ぼく自身が思うことですが、国という壁は必要です。それは、それが無いと富の再分配が行われないから・・それが言葉として美しいとか、そういう問題ではなく、現実として、その壁が希薄になれば、貧富の差は拡大し富を持つ者だけが国境の壁を越えて富を移動させ、更に強大になるでしょう・・そして、多くの人たちは美しい言葉の中で、それに逆らうことが出来ずに奴隷化するでしょう。言葉からは経験的に得られた支配の方法のための方便があふれているように見えます。自己を良いイメージで見せようとするならば、嘘だとしても、そういう良いイメージを持った人たちの仲間入りをしなければなりません。それは、そういう世界のヒエラルキーを作り出すものでもありますが、それが何をもたらすのか考えることもない..なぜなら格差がどんなにあろうと、言葉の上では”仲間”なのだから・・
かといって、国が強大で強すぎてもいけない・・
その中で、ぼくが言いたかった作品が”スピリッツ”シリーズで、現在も制作しています。



湯原温泉AIRについて

この時系列でみると読み取れるところもあると思いますが、世の中はグローバリストの思うように動いていたように思います。
そして、多くのアーティストと名乗るものが、それに乗り、いわゆる地ならしをするようなイメージを作り続けてきたように思えます。そもそも、そこから気が付いたことをぼくが作ったといったほうが良いかもしれません。
この分野以外でも、グローバリストともとれる人々が、今のこういった世界を推進するべく発言をしてきたと思いますし、今後もそれは続くのかもしれません。
ぼくが確信していることは、良い言葉だけで世界は良くならないし、光だけでも世の中は見えなくなる・・影の無い世界もまた闇だと思うのです。

つづき
posted by 超画伯 at 05:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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