2019年10月20日

友人宅

DSC08605.jpg
本来なら、今日帰宅予定でしたが、明日帰ることになっています。明日は、一応写真美術館に行って、くつろいで帰る予定。
今日は、ホテルではなく友人宅に泊まっています。色々と普段出来ないような話が出来て楽しいですよ。テンプレ文ではない話を聞くのが楽しいのです。
一応、社会ではテンプレ文が正しいとされている部分もありますが、それって何も生み出さないわけで、スリリングな感じがしません。予定調和が安心するという考え方もありますが、そういうものも世の中に満ち溢れているわけで、普通にしていれば、そういった話はどこでも聞けるわけです。
なんでもそうですが、ネットが普及することで、統一見解的なものを求める声が大きくなっているような気がします。つまるところ、多数派の意見を集約することが正しいということになっているように思います。その結果としては、新たなものを創り出せないという。
皆が幸せになるような作品を作らなければならないという意見は今や圧倒的に多い。幸せってなんだ?まぁいいや。こんなの説明してたら一冊の本が出来てしまいます。

IMG_0262.JPG
そんな事よりカレーですよ。今日は知人に紹介されたカレーがメインイベントです。店の名前はボンベイ。比較的写真美術館の近くにある店です。
店内は狭く、立ち食い形式で、少人数しか入れません。ですが、恐ろしく美味しいカレーです。食べるのにも行列に並んで食べることが出来るという感じです。

IMG_0264.JPG
店の外観は、こういった感じです。

IMG_0267.jpg
昼過ぎに移動して友人宅に。入ったら、息子さんが、このような状態になっておりました。
その後、だらだらと話をしたわけですよ。

posted by 超画伯 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2019年10月19日

写真新世紀 初日 あと、トーク終わりました

IMG_0201.JPG
一つも緊張感無くてすみません。本日、写真新世紀にてトーク終了しました。隣は受賞者の吉田さんです。

ぼくはですが、けっこうナーバスになっている方々がいる中、何も考えずにフラフラしておりました。
展覧会ですが、午前中には、なんと岡山からの知人のご来客ですよ。嬉しいですよね?岡山映画祭関連の方です。
で、映像関係者なんですが、嬉しいことに、イメージフォーラムフェスティバルの、歴代グランプリウイナーの方々にも来ていただいて、心強いかぎりです。
社会学者の友人の方も来てくれました。明日また会います。

IMG_0255.JPG
トークですが、真剣な顔をしていますが、自分で何を言っているのか分かりません。ちょっと情報量多くて、この時点で頭の中ハレーション起こしてしまいましたね。
神は降りてくれませんでしたが、とりあえず話したい事話しました。同じことを何度も言っていたようですが、少し前の記憶がありませんので、そういった持ち味が自分ということにしてくださいよ。
古い友人といいますか、映像仲間の方々は、ひやひやしていたみたいですが、中村さんらしいと言えば中村さんらしく、良いんじゃない?とのこと。まぁアトラクションの一種とお考えください。

IMG_0236.JPG
どうこう言いながら楽しんで話しています。実はめっちゃ面白かったです。
まぁ、頭がコントロール不能な状態って楽しいんですよ。トリップ状態といいますか。。で、自分全然話してないと思っていたのですが、少々話が長かった模様。。まぁ他にも長い人いたしええことにしますよ。
そうだな、次回の公開審査が本番なんだけど、隣から途中経過の時間を教えてもらうのも良いかもしれませんね。
そこで、どこか他の方向に行ってしまわなければ良いわけですが。

その後は、懇親会があったわけですが、途中で気持ち悪くなってしまいました。
まぁ頓服飲んで今は落ち着いています。
血圧も上がっているようなので、薬を飲んで調整、まぁ無理は出来ないですが、次も頑張りますよ。


posted by 超画伯 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2019年10月17日

恵比寿でとりあえず満喫、お祭り気分で楽しむ 写真新世紀関連

DSC08578.jpg
とりあえず、恵比寿に着いて、午前中はほとんど広場のベンチでボーっとして、2時ごろからようやく活動開始、夜もよく寝れてましたし、無理のない動きであればとりあえず数時間は可能です。こういうのは、何年かおきにやっていることですが、個人的には映画祭感覚に近い感じ。とりあえずお祭り気分で楽しいかぎりです。
写真展がどういうものなのかは、見に行ったこともないので謎ですが、緊張感の欠片も無い状態ではあります。いや、他人に合わせず天然が一番だと思うわけですが、どうでしょうね?
一番楽しみたいのは、飯でしょうか?

DSC08563.jpg
昼と言いますか、昼過ぎに食べたのはカレー。インド料理と書いてましたが、たぶんネパール。でも美味しかったです。店の名前は忘れましたが、写真美術館に比較的近いところでした。ほうれんぞう系の具材のカレーで、辛さは3倍なり。

IMG_0178.jpg
その後は喫茶店に。名前忘れないように、珈琲家族と。いわゆる純喫茶というカテゴリーかと。

IMG_0183.jpg
いい味出してます。座っているのは占い師さん。

DSC08565.jpg
ここ、普通に飲み物安いし、むしろ岡山とかよりも安いのですが、+100円で、トーストとサラダが付いてきます。ちょっと驚きですよ!
その後、せっかくなので手相占いを。。ぼくの結果は、頭が非常に良く、行動が速く、やっていることを非常に理解しており、すぐに成果を出す。ですが、頑張りすぎる性質があるので、そのあたりはほどほどに、との事でした!

DSC08576.jpg
晩飯はまだなので、これから餃子でも食べに行く予定です。楽しみだなぁ。

posted by 超画伯 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2019年10月03日

彼岸花

645D1056 _ .jpg
これもボツ写真。なかなか気に入った感じに撮れませんが、一応成功写真もあります。ここにはアップしませんが。

彼岸花って、子供のころからなんですが、ぼくにとって一番綺麗な花です。大人は気持ち悪いとか言っていましたが、どう考えても綺麗だと思いました。たぶん、縁起とか、そういう迷信から、この花は気持ち悪いということになったのだと思います。子供のころは、この花を、変わったチューリップだと思っていました。同じユリ科だから、似ていると言えば似ているのです。球根から生えてきたり、茎の部分とか。
今年は、この花が咲くのが遅くて、今も沢山咲いていますが、ぼく個人は、萎びた彼岸花が一番好きです。見ごろが一番良いという人は多いかもしれませんが、ぼくは見ごろを外したころが一番良いと思っています。

もう体が限界にきていて、明日も明後日も、写真とか撮る体力がありません。今、猛烈に体の調子が悪いです。だから歩くことは極力避けています。ざっと見て、必ず成功させる必要があります。失敗しないこと。これは失敗ではありませんが、まだ何か違うという気がします。
posted by 超画伯 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

ものの見え方 絵画→写真→映像

K_1N0231-1140x761.jpg
一応申し上げておくと、ぼくは絵を描く上でのアンチテーゼとして、写真や映像を掲げていました。理由は、未だ解明されていない視覚というものを探求する上で重要な意味を持つからです。人間が最終的に視覚を感じるのは脳なわけですが、処理や、さまざまな揺らぎ、また記憶も含めてのものであり、ある種の超客観的見え方である、写真というものが本当に正しいものなのかに疑問を持っていたからです。果たして、その登場以前、人間は物事を写真のように見てきたのか?ものの見え方は、写真に洗脳されているのではないか?
謎に満ちた視覚というものを考えることは、それはそれは難しいものでした。

人間は便利な方向にツールを変化させてきました。例えば、人物画、風景画等は、いわゆるリアルな表現をするのであれば、より新しい技術である、カメラのほうが合理的であり、正確性も高いものだと考えられています。そもそもカメラそのものは古く、ピンホールの原理などは紀元前から知られており、より現在のカメラに近い原理を持った、カメラオブスクラなどは、15世紀ごろには、芸術にも取り込まれ、活用されるようになりました。それは、いわゆる遠近法の完成を後押しするものでした。今のカメラに、フィルムやセンサーが無い状態で、撮影は出来ず、投影は出来るといったものです。
その原理に加え、フィルムなどの媒体を加えたのが、現在のカメラです。フィルムやセンサーに投影された像を焼き込み、それを紙媒体等に出力します。現在では、モニター等が最終出力であることが多くなりました。モチーフの投影の後、それになぞって描くということも必要無くなりました。
光学レンズには、歪曲収差などの収差が存在するため、厳密には遠近法とは異なりますが、合理的で説得力があり、なんとなくですが、遠近法の完成形のようなものとなり、視覚を探求することそのものは、芸術の中心から外れていったのではないかと思われます。もちろんキュビズム等の運動はありましたが、ぼく個人が思うのは、それは視覚というよりは触覚的意識が強いものではなかったのだろうか?という疑問が生じました。

まずもって、遠近法は、間違いなく視覚的に間違いであることは疑いようがありません。というのも、遠近法では、この世界に、視覚的に平行線が存在することになっています。これを間違いだと、多くの人は気が付いていましたが、平行線には説得力はありました。何故なら、触覚的、物質的には、平行線という概念は存在するからです。人間には、視覚と触覚を分けて考えるのは、なかなか難しいことなのです。ですが、視覚的世界を少し違う目線で見てみると、この世界は歪みに満ちていることに気が付きます。視覚は、物質的な平行線を見た場合、距離的に、その左右に対してパースがあるのであり、よく見ると、樽型に歪んでいることが分かります。周辺のピントはボケているので、線は広がりを見せ、意識づけによっては、糸巻型に歪んでように見ることも可能です。脳が、どのように見て解釈するかが重要なのです。更に、視覚的にはっきり見えている部分は少ないため、広く認識するためには目や首、体を動かす必要があります。これが無ければ視覚というものは成り立たないわけです。視覚は、一瞬で世の中の像を認識しているわけではなく、時間も要します。つまり、動画的要素も含まなければ、人間は、この世界を認識することができません。
様々な要素はありますが、少なくとも、絵画が写真に取って変わられる必要は無かったわけです。

人間の視覚は、生態学的な視覚とも言えると思います。そのため、動的なわけです。なので、写真よりも動画のほうが、そのメカニズムに近いと言えます。ですが、動画と言いますか映像は、かつては活動写真と言われたように、実は写真そのものです。
現在の35mm判の写真は、そもそもは動画用の規格で、それをスチルカメラ用に転用したものです。あの長大なフィルムを短くして、横に置いたものがそうです。そう考えると基本的に写真と動画が非常に近い存在だということが分かりやすいかもしれません。誤解のないように言いますと、映像のほうが写真より先というわけではなく、それ以前の主流は、大判写真だったわけです。たまたま生まれた35mm判ですが、大判より遥かに低画質ながら、コンパクトで合理的だったので、その名残で現在でも主流のフォーマットです。脱線しましたね。。
動画は、連続した写真を流すことで、写真が動いていると錯覚させる装置なわけですが、おそらく人間の視覚には、そのような仕組みはありません。視覚は、沢山の写真を撮っているわけではないと思います。

ぼくが、このことに気が付いたのは二十代前半の話で、ゆえにそれらを絵画に反映させようと思いました。この時期は、絵を描いてはいましたが、色々と研究をしたのは、写真や映像だったように思います。
こういった経緯からですが、ぼくはもしかしたら、写真や映像をそれなりに理解したうえで、その世界に入ったとも言えるかもしれません。
残念なことに、芸術というものには流行りがあり、今視覚の研究をしても、それは評価されません。個人でそれをすれば良いという方もいるかもしれませんが、そうなるとじり貧ですし、それこそ他者のマウンティングも酷いものでした。いわゆる社会的ストレスも含めて断念したわけです。そもそも、社会との接点すら無くなってしまいます。自分自身の存在の危機です。
特に現在の芸術の価値というのは、それがお金になるか?政治的に何かを動かせるかという方向が強く、政治、経済に支配されがちです。というか、それらの奴隷と言えるかもしません。実は、それほど尊いものではありません。社会的にも、個人的研究をするのも難しい状況です。一言「意味が無い」で終了といった感じでしょうか?なので、本来重要な、独立したルールの元で創作を行うというのは難しいのです。実のところ、今という時代を生きるのは、思い描く理想では成り立たないという。。それでもやれ!とか言う人もいますが、そういう人に限ってセコい事ばかりしているものです。カッコつけているだけなわけです。人にどう見られるかという。

解明出来ないことに時間を費やす事は、非合理的と現代の社会では受け止められてしまうかもしれません。ですが、本当は、それを追うことは、錬金術的な意味合いを持ちます。金は出来なくても、副産物として色々なものが出来、この社会は発展しました。現在では、科学という手法が主流ですが、それ以前の世界を進化させてきたものとして、錬金術は存在しました。
たぶん、視覚の探求というものはそれよりも深いもので、本来、多くのイマジネーションを生み出すもので、世界の見え方を変えうる力を持つものだと思います。解明されないからこそ、無限のイメージを創り出すことが可能で、それは永遠の課題でもあります。
もっとも、今の衰えたぼくには、それを考えるだけの力がないというのもありますが。。
次世代に、この視覚を探求する時代が、再び来ればなと思ったりします。
posted by 超画伯 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2019年10月02日

嫌になる 学習障害

ぼくは、自閉症スペクトラムで、障害2級なわけですが、物忘れと言いますか、学習障害が酷すぎて、色々な事を覚えていません。最近は、道とかそんなものも覚えられなくなりました。皆、過去の思い出話とかよくしますが、よく覚えていられるなと思います。しかし、それが普通なのでしょうね。
今日も何か、やらかした予感・・ぼくの記憶があてにならないのは、経験的に分かっているので、色々な方向から物事を考えなくてはならず、これが非常に厄介なのです。

昔から、定型のものを覚えるのが、異様に苦手で、それこそ完全に障害であり、書類に関する理解は非常に低い・・一枚の書類を渡されても、ほぼ理解できない有様で、人に見てもらいながら、それをやっていますが、それでもミスが多い。。やはり、自分の事は、自分が一番認識していないとダメなわけです。

4日ほど前、痴呆になりそうな気がしたので、色々と調べて、ビタミンDを購入。これが、痴呆の予防になるらしい。とりあえず、これ以上、脳の学習力の低下を避けたいと思っております。

最近の衰えが尋常ではなく、体力も老人ほどしかありません。たぶん、脳のほうも低下していて、簡単な足し算引き算もおそろしく時間がかかるようになってしまいました。


posted by 超画伯 at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

彼岸花を撮影しに行った

SDIM8312.jpg
彼岸花を撮影しに行きました。これは、その中のボツ写真です。
行ったのは良いのですが、動悸でしんどくて、ほとんど動けず、これは寝転んで体が安定するまで待って撮りましたが、それではほぼ不審者です。ですが、彼岸花というものは、今しか咲かないので、撮らなければ、また来年というわけです。時は待ってくれないのです。

しかし、明らかに体調がおかしいです。入院しないように、安静にしなければ、ちょっと危険な状態かもしれません。
動くとダメなので、動かないようにするしかありません・・

posted by 超画伯 at 04:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2019年10月01日

先日はライブで良かったのですが。。

DSC08453-1.jpg
先日は、ライブで面白かった。そこまでは良かったのですが、今日は体調不良。。しかも、かなり悪いです。一日の限界時間を超えて準備や片付けをしたからだと思います。やはり2時間ほどが限度のようです。
今日は、動けなかったのですが、それは根性が足りず、怠け心が働いているからだ!と思ったわけで、そこまで体調が悪いわけないだろう。と思って、撮影出来そうな所を探しに出かけたわけですが、帰宅後おかしな状態に。。そう言えば、先日か一昨日ぐらいから、人の声が聞き取りにくくなって、そのことに気がつかず、なんでみんな鼻づまりなんだろう?と疑問に思っていたわけですが、おかしいのは、ぼくの方だったようです。今日は普通に聞こえるのですが、世界が回転して倒れてしまいました。
どうやら、座っているのもダメで、寝転んでいます。
いつまで、こういうのが続くのでしょうか?
世の中の、働きすぎな皆様、過労は本当にダメです。命に関わりますし、そこで助かっても後遺症が激しすぎます。
疲れて動けないのは根性が足りないからと思っている皆様、それは本当に疲れているので休むのが吉です。過労で動けなくなって脳内やられた苦しさは、この世のものではありません!死んだほうが遥かにマシだ!というぐらい苦しいです。ほんと脅しじゃありませんから。







posted by 超画伯 at 02:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月30日

足枷を外して楽になる 得意な事しかしない

645D9549.jpg
ぼくは、生まれた時代柄なのか、どうもスポコンな所があります。自分を鍛えるという意味で、作品の中に、常に自分の理解が及ばない要素や苦手な要素を盛り込んできました。そうやって自分の能力を鍛えようとしていたわけです。なので、あらゆる装備は変態的で、すべて王道とは異なる方法で物事をやってきました。しかも、わざと苦労する方法で・・そうすれば、筋トレのように自分を鍛えることが出来ると思ってきたわけです。

病気以降、ぼくの能力は、著しく下がりました。思考力も下がり、得意の知能系の問題も全然ダメになりました。心臓が肥大し、歩くのも一苦労、自律神経も乱れ、体温も血圧もコントロール出来ない状態。
2年前には普通に使えていた道具も、色々感覚から忘れてしまって、使うことができません。過去のファイルとか見ても、自分はこんな事が出来ていたのか・・今の自分にはとても出来ないものばかり・・メモも、まったく理解できません。
作りかけのデータは、明らかに自分に負荷をかけることを目的としていて、次のその次で最大の力が出せるようなやり方で作っていたりします。

作品アイデアも何十種類、たぶん他人とも被らない・・映像、絵画、立体、写真、ここでは言いませんが、それ以外もあります。その中でも、自分に負荷がかかり、難度の高そうなものから作ろうとしていました。完成度云々よりも、自分を鍛えることを目標にしているようなものばかり。毎度知恵熱で頭痛になりますし、それらは、間違いなく、体力的にも完成度を下げるものです。あと、それらを一度の人生で実現することは不可能です。そもそも不可能な事を急いでいたわけで、それを無理に作る必要も、本当はなかったのだと思います。

「蟻のような」は映像作品のためのアイデアであり、その映像がどういう姿なのか?に関して、自分の脳内にははっきりとあります。もちろん、体力があるならば、制作は可能です。アイデアに関しては、病気以降のものなので、その内容は、自分に課した足枷を外したものです。そして、これまで培った能力のみを使うのだから、それは確実に成熟した作品になります。完成すれば、これまでの作品とは比較にならない強度を持つことになると思います。得意な事しかしないわけですから。
あと、自分にとってのオーソドックスは、世の中のオーソドックスにはなり得ないのではないかと思います。常に他者とは、興味の対象が異なっていたわけで。

足枷に関しては他にもあります。基本的にアニメーションのような映像作品に関して言えば、どこかで他者の要素を入れる必要が生じます。ですが、それは一種の足枷にもなり得ます。完全に自分と一致するイメージとか、他者から得ることはあり得ないわけです。作るならば、完全に一人で制作することが望ましい。スタッフは、ぼく一人、それならば、完全にコントロール出来ます。それは、自分だけの作品になるわけで。

さて、疲れるので、SNSは何日か休もう。

posted by 超画伯 at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月28日

山陽新聞 キヤノン写真新世紀関連

K_1N0365.jpg
山陽新聞に、キヤノン写真新世紀の中村智道 優秀賞関連の記事が掲載されました。  クリックで拡大します

関連


posted by 超画伯 at 06:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 記事