2019年08月20日

闇夜に脳が興奮状態に

ぼくの脳は、どんなに抑えようとしても、コントロール出来る代物ではないのです。
寝ているなかで興奮状態に陥り、ハイな状態に。。起きて寝られなくなってしまいました。

この状態は、今なるべき状態ではなくて、例えば多くの人の前で喋るときになってほしい状態なわけです。

ハイな状態が続けば、脳は疲弊して、鬱の状態が待っています。それだけは避けたいのですが、脳内物資による脳の動きというものは、自分でコントロール出来るものではありません。
根性とか、そういうものは無意味。脳内物質に抗える人などいないと思います。

脳の平均的な能力は決められていて、ハイな状態は、脳を一時的にオーバクロックしているだけにすぎません。
この時の自分の能力は、平常時に比べて異様に高くなるようですが、放置すれば破滅。。

明後日は病院の日です。

抑える必要はあれど、展覧会まで、能力を抑えるわけにはいきません。
人前で喋らなければならないのです。
その時、今の状態なら、ぼくは間違いなく他者を圧倒するでしょう。恐ろしいまでに頭が回転するからです。ですが、恐れるのはその時に鬱になること。。
今は、ナチュラルに低空飛行が必要なのです。

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2019年08月18日

久々の写真撮影

今日は、久々の写真撮影でした。というのも少々暑さが和らいだからですが、それでも野外は暑く、やはり活動時間は2時間が限界でした。
撮った写真は、とりあえずの作品クラスなので、ネットにはアップ出来ませんが、今後もこれを続けていく必要があります。
今は、寝転んでいて、動くのもしんどい状態。。
まっこんなもんでしょう。
人生って、すべてが上手くいくわけではないですから。

明日も、可能ならば撮影します。
人が見たら、奇妙な風景かもしれませんが、普通のもの撮っても意味ないですから。
体力が無いので、座ったまま撮影していますが、この制限のおかげで、逆に良い発想で撮れている可能性だってあります。
動ければ何でも撮ろうとするわけですが、それが逆に良くなかったりすることだってあるのです。とにかく情報量増やそうとしてしまいますから。
posted by 超画伯 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月16日

所詮サブカルが限界なのか

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最近、サブカルの面白さが分かりません。
そもそもあるものを焼き直すだけの文化でもあり、これをアートとして見るのにも違和感を感じてしまう事もあります。
あと、新しいものが登場してくる時にある、独特の緊張感もありません。あくまでも、慣れ親しんだものを焼き直しして、それを高度なものだと多くの人が錯覚しているだけのように感じます。文化としての発展性というか、少なくとも社会を何らかの形で向上させるものには見えないわけです。
とりあえず、日本人は、昔から他者を真似る事を好みます。僕の周りを見ても、ほとんどそうで、焼き直しから、受験テクニックのように、無難であたかも答えがあるようなものを作り、何らかの形で庶民受けする作品を作っているだけのように感じてしまいます。

今は、景気も悪く、とりあえず売れる作品というものが尊いことになっている気がします。となると、芸術など興味のない人々を対象にしたりするわけで、ある種の分かりやすさ、あと品の無さも必要かもしれません。別に意味もなく、風変わりな下ネタでもOKだったりもします。そこに、深い意味でもあれば、それは感心するのですが、別に珍しくもないものが大半だったりするわけです。
とりあえず、売れるものが最も尊いのであれば、日本においてはアイドルでしょうか?そういったものが、文化の頂点として君臨することになるのでしょうか?

個人的には、新しいものを知りたいので、科学とかのニュースのほうがよほどに面白いと思っています。何度も見たネタの焼きまわしには飽き飽きしているのです。そして、それは人から知性を奪っているようにも見えるわけです。
皆、頭が悪くなることを望んでいるのでしょうか?と思えるぐらい、最近は色々なものが酷くなったように思います。
人に好かれる要素として、頭が悪そうに見えるというのが実際あるように思えます。少年漫画等でも、バカが世界を救うようなネタが尽きないような気がします。実際、世の中を見る限りそんな事などあり得ないわけですが、多くの人はバカに親近感を抱き、共感するようになったと思います。一国の首相等でも、頭が悪そうに見えたほうが可愛く見えるのか、好かれたりします。それに何らかの安心感を覚えるのでしょうが、バカがトップで安心する世の中ってどうなんでしょうかね?
とりあえず、日本人は、そういう文化を作ってきたように思います。

多くの人は、劣化していく世の中に馴染もうと必死です。落ちていくスパイラルから逃れられない流れを作り出してしまっています。その事に気が付いたとしても、空しくなるほど世の中は無関心。
とりあえず、周りが皆同じで、バカなほうが安心できるということでしょうか?バカは分かりやすいから?それでは、ますます皆バカになってしまうような気がします。

個人的には、新しいものが見たいと思っています。そんなものがあったのか!と刺激を受けたいわけです。ですが、世の中を見ても、サブカルまでが限界という感じに見えてしまうのです。見たこともないものに反応できる人はほとんどいません。
何らかの文化があるとして、サブカルに取り上げられるとして、それに深い意味はあるでしょうか?サブカルはサブカルがサブカル内で有名になり盛り上がれば良いというような振る舞いをしているように見えます。それほど広い視野を持っているようにも見えません。
サブカルが尊い芸術・・それも、もうそろそろ終わるのかもしれませんが。
posted by 超画伯 at 04:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月11日

狂っている

ぼくは、頭がおかしい。
ここ最近は、作品の手続きや、まとめ、資料作成をしていますが、動けるのは2時間が限界です。それ以上動くと最近は非常に危険な状態になってしまいます。体のコントロールだけでなく、頭のコントロールも効かなくなり、暴走を始め、そのまま倒れたりしてしまうのです。
分かっていても、コントロール出来ず、この世の事象が頭を駆け巡り、言葉も止まらなくなるのです。そして、疲弊して、倒れてしまうのです。
他者からすれば、完全に狂っているわけで、これは良いことではありませんが、分かっていても、コントロール出来ないのです、
激しく頭が動くので、この世の構成とか、そういうことを考えたりしてしまうわけです。
興奮状態を沈静化させたいいのですが、どうすれば良いものか。
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2019年08月10日

乗りかかった船だけど、では何を描くのか

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写真展出したら、通ってしまったけど、今後どうするのか。。

ぼくを選んだのは、オランダの写真家、リネケ.ダイクストラさんです。
「素晴らしい作品に出会えた」とのことだったそうです。
シンプルですが、とても嬉しい言葉ですよね。

キヤノン写真新世紀でのオリエンテーションがあったわけですが、ぼくは学習力が低いので、その名前を紙に書いて帰りました。
その後、どういう写真を撮っているんだろう?と思って調べてみたのですが、それはじわっとくる感じの写真でしたが、その強度に心が折れそうになりました。ぼくは、現在、作家として、そういった強度を持ち合わせていません。圧倒的な格差があると感じました。
正直な話、写真で驚いたのは、これが初めてかもしれません。
シンプルな日の丸構図のポートレートにも関わらず、多くの人の社会的背景が見えてくるのです。そして飾っていない。
たぶん、これは、天がぼくに与えてくれたヒントなのだと感じました。
そう、ぼくの情報処理は無駄が多いのです。もちろん、これは自閉症スペクトラムとも関係があると思いますが、情報を表すとして、最小限の情報で多くを記すということをしてきませんでした。

色々と考えるものがあるけど、乗りかかった船ですから、乗ってみるのも悪くないような気もしました。そういった表現が出来るのであれば。
ただ、何を描くべきなのか。
ただの綺麗な写真とか、昔の写真を模しただけの意味のない写真とか撮りたくないわけです。
シャッター押したら簡単に撮れる写真だけれども、作品として考えるならば、そんなに簡単なものでもありません。
作品となると、当然ながら社会的領域問題も発生しますし、そのキワの部分を撮ることになります。それに耐えうるだけの強度も必要なわけです。
世の中、ファッション写真が蔓延しておりますが、そういったものは多々あるわけで、今更それを撮ったところで埋没するのは目に見えていますし、基本的には深い意味も発生しません。

作品ならば、意味ありげでは成り立たないわけで、明確な意味を持つ必要があるでしょう。
難しく考えても仕方ありませんが、現在一つは、一応意味のあるものを作りました。ただ、そのアイデアは、映像のためのものでした。
なんだろうかな。
ぼくは、基本的に、この世の中が好きではありません。生い立ち上好きになれるわけがないとも言えます。個人的には、ここを偽ってはいけないとも思っています。
好きでもないのに、好きと言って、その輪にいれてもらうという方法もあるかもしれないけど、その時点で、ぼくの表現は終わってしまうかもしれません。
あと、その輪の中で大した意味もない、人よりも劣った人になりたいとも思わないわけです。
さて、どうするのか。。

posted by 超画伯 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2019年08月07日

血圧高い、心臓が少しばかり肥大

今までなら2〜3日で終わっていた仕事でも、今は10日ぐらいかかってしまいます。
というのも、どうやっても集中した仕事は、2時間程度しか出来ないからです。
今日も3時間の労働で嘔吐。。
でもまぁ、何としても写真展の作品を仕上げる必要がありますし、データも作り出さねばなりません。

今日やろうと思っていた、文章は、明日に延期、明日は文章だけに力を注ぐ予定。

検査の結果、心臓が少々肥大しています。あと、血圧は上が180下が130脈拍は100前後といった感じ。少し怖い値ですね。

それでも、乗りきらないとな。正直、今のぼくにとっては、最後のチャンスかもしれません。ボロボロすぎです。
posted by 超画伯 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

中止とかせんでええと思うけど、表現の自由ねぇ・・あいちトリエンナーレ?

ある程度、何かやっている人なら、誰でも気が付いているというか何というか、表現の自由なんて本当はハナから無いわけです。皆が、何らかのタブーを持っいていて、自らその領域を犯すことは、ほとんど無いでしょう。
まぁ分かりやすくコーランやらユダヤやら何やらあるわけですね。
従って、表現の自由なんてものは、ある種の領域内でのみ確保されたものだったりするわけですよ。だって、色々な領域に規制とかあるじゃないですか?そこのせめぎ合いでしかないわけです。

とりあえずマスコミ言論にも言いたいことは、色々と言うのあれば、展覧会が何であったのか、詳細に報道する必要があるでしょうね。天皇?関連の動画など含めて。それをしなければ説得力が無い。
個人的には、むしろ動画を流してほしいと思っているわけですよ?
まっ出来ないよね?つまりそういうこと。

展覧会そのものの性質を考えてみるに、ある種の煽りがあり、マウントを取りにいっている感もありますし、話に聞く耳持っている感があるわけでもない。
炎上は元より計算に入っているものと思われます。更には、撤去や中止も含めて、の展覧会のように見えます。
ならば、大願成就したわけで、この展覧会を見守っていた方々は、それをお祝いするべきで、悲しむとか茶番劇じゃあないかと思うわけです。まぁ、その悲しむことも含めて、自分の政治的スタンスを表すためにも、そういうものといった感じでしょうか?プロレスっぽいといやそうですね。

最初のほうに、述べたように、皆がタブーを持っているわけで、この手法が、ある種のイデオロギーに対する椅子取りゲームであることが見て取れます。一言で言えば、ネトウヨという劣悪集団に対して行われた可能性も高いということ。というか、感情むき出しで、ネトウヨ憎しが滲み出ている気がします。それだけに雑な面も多いように見えます。
最初から、政治的意図を持っているのであり、野次馬として参加した方々には、自称平和主義者も多いかと思いますが、一方のイデオロギーのタブーに侵食しているわけで、結論としては、こういうやり方では平和は担保できないと思います。もちろん、それが目的でもかまいませんが、目的が平和なのであれば、そこは大きく勘違いしていると言わざるをえません。
一つ言えることは、ここで起こることは分断でしかなく、少なからず、特に韓国、或いは韓国の方々に対しては、更に印象を悪化させた人は無数にいることと思われます。少なくとも、ネトウヨではない人々を、そちら側に寄せる行為には見えます。

個人的には、戦争が起こるとして、それは、こういった双方の共同作業で起こると思っております。
元より戦争を目的化してしまっている集団と、平和と言いながら分断を煽る集団のことですね。そこに知性が働かないのであれば、平和の確保など難しいわけです。ネトウヨとパヨクに知性があり、意見交換したり話し合いできるだけの能力があれば別ですよ?まっ無いよね?それを分かってやってる感ありますよね?
つまるところ、こうなることも計算としてあるならば、そこに愛があるわけではなく、私的な売名のために、多くの人を犠牲にしたことも考えられます。
本当に残念なのは、喜んでるのはネトウヨばかりじゃないですか。本当は、騒げて嬉しい支持側もいるとは思いますが。

ぼく、本当に戦争嫌なんで、自分の立場で言っております。「反対したけど、戦争になっちゃいました。テヘッ♡」とか引き金引いておいて被害実績語るとか無しにしてほしいです。「でも想いは戦争反対!」とかないわ〜というか、便乗して乗ってるだけの人って、その時が来たら99%ヘタれると思います。ネトウヨとかも被害受けたら「本当に戦争してどないすんねん」になるの保証します。

おっと、色々な意見の場になれば、というわけで、言っておりますよ?ステレオタイプの古臭い右左論じゃつまらないじゃないですか。というか、今という時代は、そういう古臭い論じゃ、もう限界がきてるんじゃないですか?それに右往左往させられている間に、本当の意味での支配層に好き勝手やられている気がするんですが気のせいでしょうか?
歴史は繰り返す?武士の時代やら、藤原氏のような時代やらも?そもそも戦争論が第二次大戦で止まってるのは何故?戦争といっても形態が違うかもしれませんよ?冷戦も終わりましたよ?共産党は、共産主義やってますか?資本主義は以前のままですか?


展覧会は継続するべきで、主催者は、何を意図したものだったのかを説明する必要があるでしょう。
個人的には、あの展覧会に、それを出来るだけの強度があるようには思えないわけですが。あと、強度が無いものに権威を与えるのとか、どうかと思ったりもします。

とりあえず、責任ってのはそういう所に発生するわけですよ?

posted by 超画伯 at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月03日

フェイスブックは史上最悪のSNSだと思いますが、同様にコミュニティーアートは..

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久々にFBを見ることになりましたが、やはりあれは最悪のSNSですね。皆が周りを意識して自己のイメージを上げるために、固定化したイメージを垂れ流し続けています。固定化したイメージというのは、”良いイメージはこういう事”という、過去に誰かが提示したイメージの中で、比較的多くの人の賛同を得られるイメージが委縮して、さらに固められたイメージの事を指して言っています。そのイメージというものは、如何に自分が素晴らしいかということを演出できるものである必要があります。そうでなければ、不特定多数に認められれる事もありません。何故なら、それを後押しする人たちも、同様に周りから認められる必要があるからです。

つまるところ、そこに新しいイメージなどなく、コピーのコピーしかないわけで、はっきり言えるのは、多様な個性というものは、そこで消失されるという事です。
色々な政治的主張もあるかもしれませんが、それは基本的に知性に沿ったものでもなく、他者の意見をスピーカーのように述べているわけで、自分がありません。
自分が無いということで、没個性のキャラクターを、大勢が演じ、その中でも下品に自己アピールする面倒くさい人間が、その中に架空のヒエラルキーを作っているのにすぎません。"良いイメージ"の幅は、限りなく少なく、多くの人は、その範疇で動きます。FB等は、年齢層が高めなのか、古臭く、”意識高い系”的な考え方が未だに支配的に見えます。
似たような意見しかないのであれば、そこには権力闘争が発生しますし、面倒くさい人間が、”いいね”を稼ぐために、色々な策を労するわけです。
もう一つ言えば、それは地方において、更に顕著に表れているように思います。

そこに生じるのは、多様性の消失以外の何物でもありません。


もう一つ苦言を申し上げると、外で展示しているアレです。コミュニティーアートとかいう。
外で展示することそのものには問題はないでしょう。問題としてあるのは、FBと同様の空間を、”アート”という名を借りて、公共の場で繰り広げる事にあります。
一つの問題としてあるのは、そこには政治的意思が絡むということ。名目上、そういうものは地域貢献であり、それは住民を満足させること、更に彼らの意見を聞くことも含まれます。
芸術的意見としては、そういう意見は、実のところ大した意味を持たないのかもしれません。何故なら、彼らは、その芸術的アイデアに特化しているわけではないのです。
ただ、そこでは最悪の民主主義が繰り広げられることにもなります。当然ながら、住民の意思に反するものは排除されるわけですし、回数を重ねるごとに、住民は、作家の意思をコントロール出来ることを理解していきます。そして、そういうものが、彼らにとってのアートなわけです。
現象として起こることとして、意に沿わないものは排除することが可能でありますし、それを理解した作家は、住民の意見に支配されることになります。持続的に、そこで発表するためであり、多くの”いいね”をもらうためでもあります。
行政は、住民の苦言に対して、敏感でなければなりません。よって、その中から住民の意に沿わないものは、排除していくことになります。

結果としては、そこに表現の多様性の消失が発生することになります。

あらゆるイメージの劣化と、知性の消失がそこに起こるわけで、そこに新しい意見など存在しないでしょう。
個人的には、あらゆる分野で、そういう事が起こっていて、地方においては、劣化しているのであり、打開策を見いだせない状況に陥っているのだと感じます。
残念ながら、地方においては、お山の大将のような人が、そこを仕切っているのであり、専門外の事に関しても、”自分のほうが理解している”と錯覚していたりします。
つまるところ、彼らの存在は反知性だと言えると思います。

残念なことに、日本はそういう社会といいますか、そういう村社会を形成していると思います。
そうなるならば、当然のように言えることは、"日本にアートなど必要ない"という言葉です。自分たちと違う意見も、新しいアイデアも必要が無いという意識が、社会の中に刷り込まれている感じです。
社会が委縮し劣化するカラクリと、何か関係あるかもしれません。

周囲の目に支配されないのであれば、公共の場での展示も有りでしょう。無いのならば、「○○のため〜」とか嘯くのであれば、その○○のためにも、身を引くべきでしょう。
なぜなら、彼らがやっていることは、反知性の推進であり、それこそがアートなのだと啓蒙しているわけですから。

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2019年08月02日

苦しい

今日も、写真関連の作業を2時間ほどしましたが、左肩が痛いのと、酔ったような感覚で、作業続行不能に。
これが現実だけど、、ここまでやったのだから、最後までやらないと。

なんで、回復してくれないんでしょうか。。

アイデアは山のようにあるのに。

作品は集中力が必要です。イメージは、体力次第で、思ったものに近づけることができます。ですが、断念ばかりです。

もう、周りを気にしない。普通の人に認められても、もはや何にもならない。そこに力を注ぎすぎた。無駄な努力だった。

顔からばかり汗をかきます。これは何なんでしょう?
posted by 超画伯 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月01日

疲れた

色々と疲れました。
今日も活動時間は2時間ほど。
少し動いたら吐いてしまうのは、どうにかならないものか。
目も随分見えなくなりました。
どんどん衰えていくな。。回復するんでしょうか?
来週は、また病院。
体が悪いと、テンションが上がりません。
写真展は嬉しいけど、体がこの状態では。。風邪も引いたかもしれません。
ここ何日か忙しかったからなのかな。。

そういえば、楽しみが一つ無くなったんだな。。写真やカメラで色々と遊んでいたけれども、これからは責任というものがあります。
変な写真や適当な写真で、遊ぶことは、もうやらないほうが良いんだろうな。。

そういうのは、何か、他の領域を探そう。趣味の領域といいますか。
そして、それを作品化しないことも重要ですね。。

でもまぁ、今後は、自分の能力を、極力作品の方向に注ぐしかないな。作品は辛いけど。
もう、他の人たちの意見は聞かないよ。もう、自分にとっての作品のみに注力します。それが、どの媒体であれ、強度はそれなりにします。作品というものの本質はなんとなく見えてきはじめているかもしれません。なんとなくですが。
皆に分かるとか、そういうものは、頭の片隅からも外そう。本来のぼくの力を開放するために。
人目なんか気にしてたら駄目だ。
そこが、ぼくの駄目なところ。
尖った作品なんか作らなくて良い、ほっとけば勝手に尖る。
posted by 超画伯 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記